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江戸時代の藩主の危なさ

昨日は、「孝明天皇暗殺説」について、少し書きましたが、幕末の各藩藩主についても

有力者が気に入らないと暗殺

されたらしい例は、少なからずあります。

暗殺で有名な事例は

大老井伊直弼の桜田門外での暗殺

ですが、その五ヶ月後に、その事件の黒幕と見られた

水戸の列公徳川斉昭が急死

しています。死因は、一応は持病の心筋梗塞となっていますが、井伊家臣などの報復という噂もありました。(この説は公的な文書では否定されています)なお、その後の水戸藩内の、尊皇・佐幕の戦いからも、幕府の意向を忖度した、水戸藩内での暗殺可能性は捨てきれません。

また、この2年前には、名君として世に知られた

島津斉彬の急死

もあり、これも暗殺の噂がありました。
島津斉彬 - Wikipedia

このように

主君と奉られても都合が悪いと暗殺

されるので、藩主と言っても指導力を発揮できず

藩内で主流になった方を認める

の状態になった例があります。有名なのは、長州の毛利敬親が「そうせい侯」、水戸の徳川慶篤は「よかろう様」と言われています。両藩とも、旧体制維持の佐幕派と、改革をめざす尊皇派が、血まみれの戦いを繰り広げています。そこで、優位に立った方の操り人間でないと、藩主ですら殺された可能性があったので、こうした対応も仕方なかったのでしょう。

毛利敬親 - Wikipedia
徳川慶篤 - Wikipedia

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