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和魂の現実性を見直す
私たちは「和魂洋才」という言葉を、聞いたことが、ある人は少なくないでしょう。しかしその前の「和魂漢才」を聞いた人は、少ないのではないでしょうか?さて、ここで使われている「和魂」ですが、両者には大きな違いがあります。
まず、「和魂漢才」は、平安時代に遣唐使廃止の議論などからでています。この場合
漢才:儒教などの理論的知識
和魂:現実に合わせた智慧
という意味合いがあります。日本の文明は
中華文明のいいとこ取り
が特徴です。聖徳太子の17条憲法から律令政治も、中華文明や仏教思想に飲み込まれず
日本の現状に合わせて消化
して使っています。例えば「易姓革命思想」は、排除しています。これは
漢文で論理的思考
仮名文字の歌などで現実的納得
と言う2重思考が上手く働いていました。
さて、この「和魂」がおかしくなったのは、江戸時代です。
当時は、朱子学の影響で、忠孝が奨励されました。ここでは
漢才が魂まで影響
と言う事態になります。これが幕末の尊皇思想に結びつきます。
さて、明治維新からの「和魂洋才」では
和魂:現実を超えた精神主義
洋才:現実に使える知恵
となってきます。ここでは
和魂に漢才も含まれる
事態となっています。
そこで
洋才が現実的
と言う事態になっています。有名な事例は、杉田玄白の「解体新書」に関わる解剖の話です。つまり、「漢方医療では説明できない臓器が、蘭学の医療書には書いてあった」と言う状況です。
しかしながら、西洋文明の科学の成り立ちを見れば
洋才は理想化世界で成立
現実を無視
と言う側面があります。それに対抗するためには
和魂漢才時代に戻し
和魂の現実性を見直す
必要があると思います。