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スマホ脳と記憶力問題

新潮新書「スマホ脳」アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳を読んでみました。

精神科医が書いただけあって、体内の化学物質の働きなどもよくわかります。

さて、この本の後ろの方に、

スマホに依存するために発生する記憶力低下

と言う指摘がありました。この問題はきちんと向き合う必要があると思います。

まず議論したいことは、

記憶力の低下と言うことが本当に悪いことか?

です。これは、人類の歴史を見れば

文字なし暗記の世界 -> 
文字の出現 -> 
紙への記述 -> 
安価な紙の大衆への普及
(グーテンベルグ革命)

と言う風に、暗記力依存から外部記憶である書き物への移行が、大きな流れになっています。ノートに記述することができ、記憶の負荷から解放されます。これは、創造的思考を働かせるためには、有効な手段です。

従って、一旦スマホなどの電子的手段に、思いつきなどを保存しておいたり、参考になると思ったことを、リンクだけお気に入りで保存したりすることは、積極的な面も評価すべきでしょう。

私の体験でも、色々と思いついたことを、ブログ等に書くことで、電子的に保存できるので、ノート保存の本棚があいて助かっています。しかも、検索機能が充実しているから、色々と引き出すこともできます。

このような、知的生産の補助という側面を考えて

スマホ脳を上手く育てる

発想が必要です。古事記や日本書紀を書き写した時に、記憶の達人に依存した伝承から解放されました。このような進化を受け入れて私達は育ってきたのです。

私は、マクルーハンのメディア論が示すように

「スマホやSNS環境という新メディアは受け入れざるを得ない」

と考えています。これで一時的には、「脳の退化」と感じることがあっても、グーテンベルグ革命が示すように

「人類は新しメディアに適応していく」

と期待しています。そう言えば、グーテンベルグの印刷に関して、ヴィーコが

「本の選別ができなくなっている」

と不平を漏らしていました。

しかしながら、現在の文明で得たモノは多く、ヴィーコの懸念を乗り越えています。

ただし、短期的には「スマホ脳」のトラブルは発生すると思います。特に、子供に関しては、ハンセンの提案した対策も有効でしょう。

一方、大人の社会に関して、スマホの活用はもう少し議論すべきだと思います。私のアイデアは

ノレッジ・マネジメント

を、現在の環境で見直し、情報の選択や供給に関して、「経営管理の立場で制御」という発想はあると思います。つまり、会社組織として、判断や情報の流れの制御を、個人の脳から、ネット・メディアの中に移動させるのです。

なお、ハンセンの指摘した「不安」の問題ですが、1970年代の会社経営では

「人の安心を得て力を発揮させる
ファミリートレーニング」

等の手法がとられていました。こうした側面も、もう一度見直すべきではと思います。


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