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「小説」的な見方の弊害
ここで何度か書きましたが、古代ギリシャの哲学者プラトンは、大著「国家」の中で
若い人の教育は詩人ではなく哲学者が行うべき
と主張しています。私は、この発想は、偏りすぎていると思います。つまり
詩的世界の総合的なイメージ
哲学的な厳密な思考
の両者を、健全に育てることが、若い人の育成には必要です。
しかしながら、小説や詩には
劇的なモノに注目
と言う問題点があります。前に書いた
日露戦争のイメージが私達を迷わす|鈴木良実|note
では、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」が描く
日露戦争の騎兵の戦い
において
「派手な騎兵突撃」
だけを強調し
「地道な野戦陣地構築」
を軽視
するという問題点を指摘しました。
これに対して、もう少し本質を観る、哲学者に習って考えましょう。
馬の特性は
速く走る
多くの荷物を運べる
です。これを具体的に実現すると
速く走る->騎兵の突撃、奇襲
運搬力->杭・鉄条網・機関銃を運び野戦陣地構築
と言う発想になります。こう考えると
秋山騎兵隊は運搬力を活かした
騎兵本来の勝ち方
と言えます。
確かに、騎兵の一斉突撃や、長躯迂回しての奇襲は、小説やテレビ・映画の画面では栄えます。
しかしながら、本質を考えないと、派手な作戦ばかりになって、結局は国を滅ぼしたのは、第二次大戦の日本の軍部を見れば明確です。
なお、このような奇襲主義は
明治の日本国力からすれば妥当
と言うことも考えないといけません。秋山少将(日露戦争当時)の要求によって
騎兵隊は当時としては高価な機関銃を装備
しました。こうした、必要なモノをどんどん要求されたら、日露戦争後の日本は、経済破綻したでしょう。そこで
現場であるモノで工夫しろ
奇襲は最高の作戦
と教育したのが日露戦争後の日本軍部でした。こう言う側面も考えるべきでしょう。