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観無量寿経を読んで
観無量寿経を読んで、今までの私の誤解が正されました。
一つ目の誤解は
極楽は皆が一様に幸せ
です。これに関連して
進歩がなくなる
おそれもありました。
しかし、これは
上品の人は極楽往生の後
多くの仏の教えに触れる
と言う教えが見つかりました。また
中品の人は阿羅漢に
下品の人は長い時間の後に仏の道を求める
と言う違いがあります。
特に
往生した後でも成長
と言う側面は大切だと思います。キリスト教の天国では
神の下での幸福
なので
その住民はその状態で幸せ
となり、その後の成長という概念はありません。また、人によっては
一様な極楽より変化のある地獄がよい
と言う意見もありました。しかし、大乗の教えをキチンと理解したら
自ら仏になりさらに世界をよくする
という、上品の人達の往生後の可能性が見えると思います。
さて、二つ目の誤解は
悪人往生
についてです。下品の人達は
往生しても長い間蓮の蕾の中
と言う状態です。この時間は「劫」という、とんでもない長さです。
劫 - Wikipedia
これを考えると
往生というけれども
禁固刑
と言う見方もあります。但し、この蓮の華の中では、極楽に流れる、多くの仏の教えを聞いていると解釈するなら
教育的刑罰の理想
と言う解釈も出来ます。
このように見ると
観無量寿経には
現在社会の問題へのヒント
が満ちていると思いました。