西田哲学の「行為」
西田幾多郎の著書を読むと、「行為」が一つのキーワードとして出てきました。これは、仏教の五陰による認識論の拡大ではと思います。五陰とは
色・受・想・行・識
の五つの人間の構想要素や認識過程です。
五陰の認識論については、GPT-4のCopilotで以下のように出ました。
<引用開始>
五陰の認識過程とは、人間が外界の刺激に対してどのように反応するかを細かく分析したものです。😊
具体的には、以下のような流れになります。
まず、物質的な存在である色が、目や耳などの感覚器官に触れます。例えば、目に入った光や耳に入った音などです。
次に、感覚器官が外界の刺激を感じることを受といいます。例えば、「明るい」とか、「暗い」とか、「静か」とか、「うるさい」とか、感じた印象です。
さらに、感じた刺激に対して、頭の中でイメージや概念を作ることを想といいます。例えば、「これは花だ」とか、「これは犬だ」とか、刺激を特定することです。
また、イメージや概念に対して、何かをしたいと思ったり、感情を抱いたりすることを行といいます。例えば、「花を摘みたい」とか、「犬を撫でたい」とか、「怖い」とか、「嬉しい」とか、意志や感情です。
最後に、イメージや概念を知り分けたり、判断したりすることを識といいます。例えば、「花は赤い」とか、「犬は大きい」とか、「怖いものは避ける」とか、「嬉しいものは近づく」とか、認識や知識です。
このように、色・受・想・行・識の五つの要素が、互いに関係しながら、人間の認識の過程を形成しています。
<引用終わり>
さて、ここで「行」の部分に注目します。一般には、上に書いたように
イメージや概念に対して、何かをしたいと思ったり、感情を抱いたりすること
を「行」と理解しているようです。
しかしながら、西田幾多郎は、ここでもっと踏み込んでいきます。彼の考えでは
行動から得る/行動で変える
という積極的な関わりがあります。つまり
自分をその場において行動し
世界の中での働きを観じる
という
動く世界への積極的関与
です。これは、西洋哲学の
客観的に見た世界
静止画面を切り取り
という発想に不満を持って生まれたと思います。