物理学は使うか?発見するか?
昨日も書いたように「物理学的発想」は、西洋文明の理解に役立ちます。しかし、ここで、私たちの
物理学の学び方
について、見直す必要があります。まず押さえておくことは
物理学の成果を学ぶ
物理学構築の手法を学ぶ
の違いです。これを、電磁気学で説明すると
独式:Maxwellの方程式を先に教え現実への適用を教える
英式:静電気の現象から一般化しMaxwellの方程式に至る
と言う道のりになります。産業革命に遅れて参加したドイツでは、既に電磁気学のが出来ていたので、きちんとした理論を学び、その応用として現実の現象を解明する方向で、「電磁学の学び」としました。
一方、ファラデー達の活躍で、電磁気学を自ら作り上げた、イギリス人は、こうした
基本法則の発見の道を学ぶ
が、「電磁気学の学び」と考えました。日本の大学教育では、両者の流れが大学側の発想で分かれています。
さてここで大事なことは、こうした学び方の違いで、現状の認識や推論方法に違いがでることです。
ドイツ式の理論先行の学びでは
現実の現象を見て
理論に当てはまるかを考える
方法をとります。法律の適用のように
AならばBとなる法則がある
現実に起こっている現象はAである
従ってBとなる法則となる
と言う三段論法が使えます。こうして、電磁気学をきちんと使うことで、現在のスマホなどの高度IT機器が実現しています。しかしながら、この発想では
与えられた理論を使うだけ
新しいモノの発見は出来ない
状態になります。
一方、イギリス式の教育では
現実の現象を見て場合を分け
因果関係を見いだす
作業から始まります。電磁気学の始まりは、静電気を発生させて、物がひっついたり、反発したりする現象の観察からです。そしての力に対して、距離の二乗に反比例する等の、規則性を見いだしていきます。
こうした作業は
新しい法則を見いだし
学問を進歩させる
ためには必要な力です。また、この力は、生きていく上でも
新しい事態への対応
の基礎的な力の一つです。
しかしながら
皆が学問の進化に携わる
のではありません。日本の大学教育は
知識利用と新規発見
のバランスというか、割り切りについて、議論が少ないように思います。