
正しく仏を観る
近頃は、旧統一教会の問題もあり
カルト宗教への嫌悪感
が多くの人にあるようです。一方、特に若い人たちには
神秘体験
を求める人も少数派ですがいます。
さて、ここで議論したいことは
正しい宗教的体験と邪教の区別
です。いわゆる
科学的態度
で
神秘体験全てを否定
した場合には
簡単な神秘体験で取り込まれる
危険性があります。オウム真理教に、多くの高学歴者が、取り込まれました。オウム真理教のレベルの
一寸した異常心理体験
でも、科学万能人間を取り込むことができたのです。
さて、今回は天台大師の『摩訶止観』の教えに従って
正しい宗教的体験
を考えましょう。摩訶止観の十巻の内、第九巻に『禅定を観ぜよ』という教えを展開しています。
ここで大事なことは
座禅をしたら神秘体験の魔境に入ることがある
しかし
それを恐れて仏の道に入ることを閉ざしてはいけない
です。
例えば、不動明王、観世音菩薩そして阿弥陀如来にたいして、
「南無不動明王」、「南無観世音」、「南無阿弥陀仏」
と唱えていると
お不動様、観音様そして阿弥陀様
のお姿が見える場合があります。しかしこれが
前に見た仏像の再現
等の
仏法を体得せずに見る
ならば
魔境
です。座禅中に
忽然として仏の功徳の無量無辺不可思議を思惟し
信じ敬って、己の至らざるを反省する
深く慕仰して、仏の大神力、大智慧、大福徳、大相好
あることが自然に想い浮かぶ
ように仏を観る。自分の力だけでなく、仏の力での助けを感じながら、観るというか見せていただく、この微妙な感じが
本当に仏を観る
ということです。このような、正しい信仰をしてほしいので、これを書きました。