敗戦処理と失敗責任は違う
今の会社生活では
管理職は罰ゲーム
という考えがあるようです。
私の会社生活でも
課長や部長が責任を負わされる
という場面を何度も見ました。また
人は無能が証明されるまで出世する
ピーターの法則
の実例も何度か見ています。もっと言えば
出世させ無能をさらして追い出す
という手法もありました。
さて、こうしたなかで
構造不況の部門の長が
最終的な損益不振の責任で
処罰的人事
という場面も見ています。例えば、コンピュータ応用の世界では
ミニコン→ワークステーション→パソコン→スマホ
というダウンサイジングが、10年単位で起こりました。そこで
1980年代の高収益部門
2000年代の人員過剰部門
という変遷が生じた部門があります。そこでは
2000年代の部長は針の筵
という状況です。しかしよく考えると、この部門は
1990年代に技術変遷と社会変化への対応失敗
が大きな敗因です。つまり
敗戦責任は前の時代にあり
その後の部長は敗戦処理
という状況でした。
こうした状況を考えて
管理職になるとき
敗戦処理としての任務
という契約も必要でしょう。
逆に
敗戦原因を見ず
結果だけで敗戦処理投手に責任を負わせる
経営は、無能というべきでしょう。