因縁果報の発想と因果の明確化
西洋文明と、日本の文明の違いに
日本:因縁果報の発想
西洋:因果の明確
があると思います。
西洋文明の根底にある、古代ギリシャの哲学者プラトンは
幾何学を模範として
理想化抽象化したイデア
による原因-結果の明確化
を図りました。この発想は、現在の社会学者マックス・ヴェーバーの
理念型
に繋がっています。抽象化して、細部を捨てることで
社会的行為の意味を明確化
する手法が、ヴェーバーの方法論です。
このように、理想化したモノに対しては
厳密な推論や論証
が成立します。
西洋の科学的文明は、こうした厳密な議論の上で、成立しました。
一方、私達日本人には、仏教伝来の昔から
因縁果報
の発想があります。直接的な因果関係の他に、広い縁の繋がりがあり、そこには報いも有ります。これは、因果関係ほど明確ではありませんが、現実の問題解決には、考慮すべきことがらです。
仏教に関連したインドの哲学、中華文明の色々な教えには、こうした因縁果報を扱うため
比喩による推論
が多く使われています。例えば、易経では
賢人を養うを井戸に喩え
井戸を長く使いすぎると濁るので革める
と言う風に喩えています。このような、比喩の議論は、イメージが豊かになりますが、厳密性に欠ける欠陥もあります。
そこで、私達は
厳密な思考で原因結果を追及
その上で
現実に照らし合わせて他の要素も考慮
と言う作業を繰り返して
現実に適応するしっかりした理論
と
その理論が働く舞台設定(物語)
を作り上げる必要があります。
単に理論を学んだだけ、経験しただけでは不十分で
両者の有機的な結合
が必要です。