観音経秘鍵を読む
「観音経秘鍵」というお経があります。このお経は、日本で作られた、観音経の解説ですが、ひと味違った書き方になっています。つまり、弘法大師が説いた「即身成仏」を、観音経を通じて実践していくお経です。
とりあえず全文を見ましょう。
<観音経秘鍵>
世尊妙意観世音。金銀座寶の蓮華は、歴劫不思議の波を立て心得の深きを顕す。
弘誓深如海の船は、此に来りて傾かず、還著於本人の剣を以って、呪詛諸毒薬の病を滅す。
念彼観音の力を合わせ、諸欲害身の敵を滅ぼす。発大清浄願の滝の水は、煩悩妄想の垢を雪ぐ。
我意汝略説の草木は、聞名及見身の種を成し、心念不空の風吹けば、能滅諸有苦の雲晴れ、念念勿生の月明らかに照らす。
推落大火の雨降れば、火坑の火も消滅す。即従座起の金を以って、和光垂迹の利物を顕わす。雲雷鼓掣電降雹濡大雨は、皆な是れ観世音の仏力なり。
唱え奉る福聚海無量、閻浮檀金の家の内は、皆な是れ法性の春。以偈問曰の華開く、我今重問、彼の秋の露は、世尊妙相具の草木宿する事疑い無し。生死の病種種因縁の薬を給う。
慈眼視衆生、福聚海無量。是故応頂礼。念彼観音力。諸願成就。皆令満足、急急如律令。南無大慈大悲観世音菩薩、種種重罪 五逆消滅 自他平等 即身成仏。
<終わり>
<概略の意味>
お釈迦様がおっしゃるには、観音様は金銀の蓮の上に座ってられます。この蓮の下には、計り知れない昔から不思議の波が立って、悟りの深さを顕わしています。
(ここから自力)
人生の海を私たちが一人で渡るときも、観音様を信じれば傾くことはありません。もし妨害するモノがあれば、呪いの力でも返す剣を、観音様が授けてくださります。念彼観音力と唱えて、自分を信じて切り開きましょう。
観音菩薩の力を念じれば、あらゆる欲望や自分を害する敵を滅することができ、大いなる清らかな誓願の水は、煩悩や妄想という垢を洗い流します。
お釈迦様が長い観音経を、短い偈にまとめた草木は、仏の御名を聞き姿を見るという、修行の種をなします。
自分が、怒りや恐怖、寂しさ、悪い思い込みや妄想に駆られていたとしても、金剛心の風がおとずれ、心の中の暗雲は晴れ、天空に穏やかな月が貴方を照らし、導いてくれることでしょう。
火の穴の中に陥るような困難でも、観音様は方便の大雨で、貴方を救ってくれるでしょう。
地蔵菩薩や観音様が、お釈迦様説法の場から立ち、色々な化身として、皆を救う有り難さを知りましょう。
雷がなり雹や大雨が降るのも、観音様の仏の力です。
観音経の福徳が、海のように広大に無量に集まっていると、唱えることで、川の砂金のような宝が集まる家は、仏の智慧が開けた春になります。そこには、観音経の偈による全ての華が開きます。無尽意菩薩がお釈迦様に、確認を求めたら、仏の力を全て示すお釈迦様の姿が宿ることは、疑いありません。だから私達も仏の力を見ることが出来ます。
(ここから他力)
観音様は、生死に係わる病や種々の因縁の薬を下さります。
衆生を慈悲の目で見る福徳は海のように無量なので、しっかり拝み、観音様の力を念じると、全ての願いが満たされます。
「急々如律令」は、唐の時代の立て札の最後の決まり文句で、修験道などの呪文でも最後に使うことが多い。
大慈悲の観世音菩薩に、今まで私達が犯した罪を浄め、皆が速やかに仏になるように、願いましょう。
<終わり>
<私の解釈>
この「観音経秘鍵」は、弘法大師の著作である「般若心経秘鍵」と比べれば、他のお経からの引用もなく、短すぎる感じもします。
しかしながら、法華経の普門品第二十五と比べれば
より自分事としてみる
即身成仏の教え
が輝いています。普門品なら、「念彼観音力」とお願いするところを、剣をもらって切り開く、自らを綺麗にして悟りを開く、と言う教えです。
こうした、即身成仏の実践として、この観音経秘鍵を読むのは、弘法大師の教えに従うことになるでしょう。特に、胎蔵曼荼羅を見ながら、観音経秘鍵を唱えるのは、効果が大きいように思います。