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人工知能についての神学的議論(10禅問答の問題提起)
人工知能の一つの条件として、人間と問答する、言う問題があります。「チューリングテ」がその代表です。
チューリング・テスト - Wikipedia
さて「チューリングテスト」に対する反例として、哲学者サールの「中国語の部屋」があります。
中国語の部屋 - Wikipedia
さて「中国語の部屋」の主旨は
意味を理解せずに字面だけでの対応
なら
本当の知能とは言えない
です。
さて、これを人間が体験する実例があります。
皆さんは、禅問答と言う言葉を聞いたことがあるでしょう。実際の禅問答は
師が弟子に公案という問題を出し
弟子がそれに答える
と言う形です。ここで言う問題は
両手を打ち合わせば響きがある
それならば
片手にはどのような音があるか?
と言う風な無理難題です。これを悩むことで、今までの常識の枠を外れ
悟りを開く
のが禅問答の目的です。
しかしながら、世の中には
と言う、お節介な本があります。これで、先ほどの問題を見ると
黙って片手を出す
のが正解となっています。
真面目に坐禅をして、この公案に向き合って、悩んでいると、最後には
片手しかない!
と言う境地になります。そのような人が
片手を出す
のが、本当の悟りです。
これを、「公案解答集」に従って、手を出すなら、これは
本当に悟っていない
と言えるでしょう。そこで、人工知能に本当の悟りを、求めることができるのでしょうか?