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続)西田哲学はなぜ難しいか

前に書いた西田哲学はなぜ難しいか?|鈴木良実 (note.の続編を書きます。

西田哲学は

具体的なモノの複雑さ

に、西洋哲学のような「理想化」で逃げず、正面から立ち向かいます。

ここで、西田幾多郎の観た現実は

歴史的世界
であり
常に変化する世界とその住民

です。

そこで、まず「歴史的世界」の説明をします。これは、学校ので習う

歴史上の世界

と言う様な「静止した」世界では、ありません。それどころか

過去からの色々な影響
未来からの色々な要求

が交わった世界です。つまり永遠に続く時間軸の世界です。更に言えば

現在も継続して変化

しています。私達の学んだ、西洋文明的な学問では

一瞬を切り取り静止したモノと扱う
または
周期的なモノとして扱う

等の手法で、自然現象や社会現象を扱ってきました。しかし考えて見れば、今の社会制度についても、色々と過去の柵があります。例えば土地所有制度についても

律令制度から寄進による荘園
明治の民法
戦後の農地解放

と色々な変遷があります。これを、現在だけで見ると

農地解放で得た土地に
マンションを建て儲ける

と言う批判が出るかも知れません。しかし、その土地は

先祖が開墾した土地を寺に寄進
したので永代小作権があった

場合もあります。こうした、時間軸の経緯を考え、子孫まで残る影響を考える。これが歴史的世界に生きる人間の務めです。

さて、世界とその住民について、もう少し考えます。西田は「弁証法的一般者としての世界」という論文で、次のような図を示しました。

e1,e2,e3,・・・・・・
ーーーーーーーー M
  A

ここで、e1,e2,e3,・・・は個別のモノ(個物)を表し、Aは一般者を表し、Mは複数の個物を媒介し一般者Aと係わる世界を表しています。
この図式は、個別と一般の関係と見れば、私たちにもお馴染みの図式です。

しかしながら、西田哲学の凄さは、この全てが常に変化すると、考えているのです。つまり、個人として、私自身を考えても、色々と学び、知っていることが増えるし、忘却することもあります。一方、一般的な性質も個別の事例に影響で変化します。数学の知識は、一番安定していると言われていますが、それでも無理数の発見、さらに無限小の扱いなど、色々と変化したいます。

さらに、世界も常に変化しています。これは、世界を構成している個物が変化するから、当然と言えば当然です。しかもここでは、個物の変化が、一般的な法則等にも影響します。さらに、一般法則の変化は、個物にも影響する。こうした

継続的に変化している世界

で考えています。社会学では、マックス・ヴェーバーの理念型が、色々な議論を行う世界を、上手く表現していますが、それは静止した世界です。

西田哲学では、こうした変化する状況を

絶対矛盾

と言います。これを、言葉で言うと

今あるモノはそのモノではない

という感じです。現実には、このようなことが起こります。昔、文化人類学のジョークとして

完全に孤立した家族の観測
実は家族と調査に来た学者の社会の観測

と言う話がありました。現実にあるモノは、常に変化しています。そのモノ自体の変化、関係物の影響での変化、一般的なモノからの影響など多様な影響があります。こうしたぶつかり合いを、西田哲学は

弁証法

と呼んでいます。

このような違いに注意して、西洋哲学の先入感を抑えないと、西田哲学は難しくなります。


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