AI時代の「お題目」本当の理解
AIのまとめる力
今はやりの、ChatGPT等の生成系AIは、小器用に説明文章を、まとめてくれます。例えばB-IngのAIに
南無妙法蓮華経の意味は?
と聞くとネット上の情報を、上手くまとめて答えてくれます。
<引用開始>
「南無妙法蓮華経」とは、日蓮大聖人が覚知された、万人の苦悩を根本から解決する法とされており、意味は、「妙法を蓮華によって例えた経に心の底から帰依する」という意味があります。この七字で「法華経の教えに帰依をする」という意味である 。
<引用終わり>
これで「解ったような気になる人」もいるでしょう。
解った感じへの不満
しかし、これでよいのかと、何かモヤモヤ感を持つ人もいるでしょう。これに対して、山本七平が文春文庫「常識」の研究(1981年7月初出)のⅢ常識の落し穴:教科書批判の節で、ぴったりの答えを出していました。
<引用開始>
ある中学校社会科教科書をパラパラとめくっていると、次の言葉が目に入った。「イエスは、ユダヤ教のせまい考え方を乗りこえ、身分や民族の差別なく、信じる者はだれでも救われるとする教えを説いた。これがキリスト教である。」私は驚いて跳びあがりそうになった。
~一部略~
驚くことは、この文章を読むと何となくキリスト教がわかった様な気持ちになると言うことである。
だが、その語いを一つ一つ検討し、筆者に「この言葉は具体的に何を意味するのか」と質問していったら、書いた御本人が何一つ答えられないのではないかと思った。例えば「ユダヤ教のせまい考え方」というが具体的にはどういう考えを指しているのか。
~一部略~
確かにこの社会科教科書を読むと、欠陥人間が生じて当然と思われる。というのはこの教科書を全部暗記しても、何も知ることができず、それどころか「知らざるに劣る状態」になってしまうからである。
<引用終わり>
この批判は、そのままAIの作った文章にも、当てはまります。
解るの実践
この批判に答えるため、一度「南無妙法蓮華経」で、もう一歩の理解を、実践してみましょう。
まずは
南無妙法蓮華経
は
法華経に帰依する
という宣言です。そこで、さらに踏み込んで
法華経は何を説いたか
を考えましょう。まず、法華経の位置づけですが
大乗経典
です。「大乗」は「小乗」と、対比して使われる言葉です。つまり
当時の主流であった教えを
「小乗」と批判して「大乗」を説いた
のです。その、法華経の論理展開は、以下のようになります。
第一の主張
仏には、外見・本性・潜在力・構造・作用・因・縁・果・報が
全て総合的に作用する物事の本質を、見抜く智慧がある
第二の主張
仏は、全世界を自分のモノとし、その中の衆生は全て自らの子である
第三の主張
従って我ら衆生は、(仏の子供であるのでその力を相続し)、全て仏となり仏の智慧を我が物とできる
第四の主張
こうした全能の仏は、衆生に対して方便として死ぬ姿を見せるが、
実際は霊山で今でも皆に法を説いている
そこでお釈迦様は何時も
どうすれば衆生を無上の道に導き
即座に仏身に成れるようにできるか
考えている
他にも色々大事な教えがありますが、主な主張はこの四つです。
第一の主張は、仏の智慧の偉大さを示しています。しかも、第二第三の主張で
私達にも仏の智慧がある
と説いています。お題目
南無妙法蓮華経
は
私達にある仏の力を信じて呼び出す
ために唱えています。例えば、日蓮聖人の御書の一つ「法華初心成仏抄」には
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、
我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて
顕れ給うところを仏とは云うなり
と言われています。つまり
私の心の中に仏の力がある
南無妙法蓮華経
と唱えればその力が出る
これこそ仏
と信じて、お題目を唱えるのです。なお、こうした唱題行を、日蓮宗のある寺では
瞑想
としました。自分の心の中にある仏と向き合う、そのために「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、瞑想の一つの形です。黙って座るだけが、瞑想ではありません。
なお、第四の主張の
今もお釈迦様は霊山で法を説いている
は、法華経の中でも特に大切な、如来寿量品の教えです。この教えがあるから
古来からの伝承でなく
独自の解釈を直接お釈迦様から頂く
ことができるのです。それまでの「正統派」の教えと、違う考えを打ち出すことが出来るのは
今のお釈迦様の教えを頂く
ことができたからです。これらのことを信じる。これを
南無妙法蓮華経
で宣言し、味わうのです。
この理解のため、日蓮聖人の御妙判の、法華初心成仏抄や日妙聖人御書が、理解を深めるために役立ちました。
こうした思考の上で
南無妙法蓮華経
と唱えるのが、本当の理解だと思います。
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