人工知能についての神学的議論(10' もう一つの禅問答)
前に、AIの一つの課題として
禅問答に答えるAI
人工知能についての神学的議論(10禅問答の問題提起)|鈴木良実|note
人工知能についての神学的議論(11禅問答の答え)|鈴木良実|note
を提案しました。
これに対して、もう一つ別のアイデアが出てきたので、報告します。
今回取り上げる公案は
趙州無字
趙州和尚、因みに僧問う
「狗子に還って仏性有りや無しや」
州云く、「無」
犬にも仏のいのちがありますか、
または無いのでしょうか。
趙州答えていわく、「無」
です。この公案の前に、仏教の基本的な教えとして
山川草木悉皆成仏 草木国土悉有仏性
という、全てに仏性(仏のいのち)があるという教えがあります。それでも、高僧である趙州和尚は
無
と答えます。この矛盾した話に向き合うのが、禅の修行です。
さて、この公案の答えは、どうすればよいでしょう。これは、多くの禅の修行経験者が、述べています。
何も考えず「無(ムー)」と唸る
つまり、言葉の理屈を離れて
「無」と一体になる心境を
悟った
と評価しています。もう一つ加えると
「ムー」という音が身体に響く
効果もあります。
さて、このような
「ムー」というだけ
の答えを、保存した知識から引き出すなら
サールの「中国語の部屋」に負ける
と評価すべきでしょう。もう少し付け加えれば
音が身体に響く反応は?
という突っ込みも「強いAI」否定論から、出てくるでしょう。
さて、この「趙州無字」の公案には、裏の問答があるのです。そこでは
州云く、「有」
と全く矛盾した答えが返っています。この答えも踏まえて、この問答への答えを考えて見ましょう。
私の解釈は以下の通りです。
この問答は犬といっているが自分ではないか
仏性があっても活きていないなら「無」
どのような姿でも仏性が活きれば「有」
これを、禅問答なら
前に両手をついてワンという
直ぐに背を伸ばして「無」と唸る
さらに姿勢を正し
手に印を結び「有」と唸る
という答え方があります。まずは、自分を犬にして、その状況では「無」と答える.次に自分の中にいる仏と一体になって「有」と答える、こうした対応があります。
さて、ここで大切なことは
この悟りはどこにも書いていない
ということです。色々なお経の内容、禅僧の言葉や振る舞い、これから湧きでました。
このように
多数の知識や前例から
この人ならこうする
という
仮想的な人格の生み出し
まで到達すれば
強いAIの出現
と言えると思います。サールの「中国語の部屋」の住民よりは、ましな対応だと思います。
こうした「仮想的な人格」の出現には、情報の網が充実する必要があります。このような
情報の質量の閾値
を検討することは、AI研究の一課題になると思います。
なお、このような矛盾した答えが返るのは、テトラレンマで説明できる面もあります。このような他面的な考えが、網のように結合する。これは「強いAI」の候補でしょう。
仏の智慧をテトラレンマで説明|鈴木良実|note
この記事を書くに当たり以下を参考にしました。
禅語「無」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト (rinnou.net)
狗子仏性 - Wikipedia