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日本的全員参加の社会へ
先日書いた
「社会参加」の危険性|鈴木良実
に関連して、もう少し考えました。
この問題について、一つ抑えるべきことは
西洋文明にある差別
です。これは、OECDのリテラシー表現にもある
思慮深い市民
と言う言葉が示していますが、本来の西洋文明には
市民の枠に入れない人
がいるのです。逆の発想では
ポリス(市)を護る為に戦うのが市民
と言う言い方もあります。これは、戦えない人間は、市民ではないという考えです。また、古代ギリシャには
奴隷制度
もあり彼らは、政治への発言を許されません。
この発想が、現在は
建前の平等の根底に潜在
しています。そこで一つの合理化は
思考能力での差別
です。上記のOECDの発想や、アメリカの経済界でのMBA取得者の支配が、この一例です。
なお、韓国に於いては、儒教国家として科挙の伝統があるので
学歴信仰
が厳しくなっています。
私は、深く考える力については、敬意を払うべきだと思いますが、それと同等に
広い視野で総合的に考え
多くの人に説明し納得させ
他の意見も謙虚に聞く
姿勢が重要だと思います。聖徳太子の17条憲法からの伝統に戻って
話せば分かる
社会が大事だと思います。