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「日本的」な発想とは?
よく聞く話に
「日本人は出る杭を打つ」
があります。これは、もう少し言うと
同調圧力が強く「変わったこと」をさせない
という特性です。確かに
頭を出す人間の足を引っ張る
と言う嫉妬心による行動もありますが
「変わったこと」をしないように善意で注意
と言う人が少なくありません。こうした
画一性重視
が
「日本的」な発想
と思い込んでいる人も、少なくないと思います。私も、そのように思い込んでいました。しかし、あるテレビ番組で
「京都の人は、変わったことをしている人を、無視してそのままさせる」
という発言を聞き、目から鱗と言う体験をしました。確かに京都からは、独創的な産業が育っています。
さて、この問題をもう少し考えると
正しい枠にはめる東京 対 勝手にさせる京都
という図式が見えてきます。一例をあげれば
手堅い秀才を育てる東京大学
ノーベル賞と奇人変人を生み出す京都大学
という違いです。
こうした、東京的な優等生づくり発想は
出る杭をとがめる
指導になります。
さて私達は、戦後昭和から、東京一極集中を体験しています。これは特に
文化面での東京化
です。こうした政策は
大阪などの独自文明をつぶす
効果もありました。例えば
昔は繊維産業の業界団体の中枢は大阪
だったが
通産省のご指導で東京に移す
多くの地方都市に「XX銀座」を作る
という動きもあります。しかしながら
伝統工芸は京都が中心
と京都は無事生き残りました。
ここまでの議論で
出る杭を打つ
できる人間の足を引っ張る
のは、本当に「日本的」かと、疑問を持った人も少なくないと思います。
私達が
東京の官僚的・優等生的発想
に縛られていることを、見直すべきではないかと思います。