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「中国語の部屋」について
人工知能の一限界を示す思考実験の一つに、哲学者のジョン・サールの提案した「中国語の部屋」があります。
中国語の部屋 - Wikipedia
この主旨は
言葉の上面だけの操作を完全にしても
理解しているとは言えない
です。
さて、この問題に対して
断片的な言葉の積み重ねから
その言葉を操る人格再現が出来るか
と言う問題が一つ出てきます。私はこの問に対しては、Yesと答えます。理由は
論語などの断片知識から
孔子の人格を再現
と言う経験的の知恵があるからです。ここで、またもや神学論を持ち出すと
西洋文明「人は神になれない」
日本文明「皆に仏の性がある」
と言う違いから、日本時の楽観的な見方が出てきます。可能性を否定すると何も出来ません。
さて、ここでもう一つ議論すべきことがあります。それは
相手も理性的な人間と仮定出来るか
の議論です。つまり
この言葉を使っているのも理性的人間
と考えれば
自分と照らし合わせ
別の言語を使う人格を造る
ことが出来るでしょう。こうした
類推対象が見えたらモノが造れる
と言う発想も大切だと思います。
このように考えると
現在のAIの可能性
はかなり高いモノだと思います。