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「坂の上の雲」の問題点

昨日の続きで「坂の上の雲」について、私が考えている、問題点について、少し議論していきます。

まず、多くの人が議論している

旅順攻略における乃木将軍

に関しては、私の考えは

乃木将軍の正攻法は評価されるべき
ただし
白襷隊の使い方は失敗

です。

さて、私が一番問題と考えるのは、この物語の主役の一人である

秋山好古の騎兵隊

の扱いです。私の論点は

秋山好古は馬の二つの力
運搬力軽快な移動
の両面を使いこなした

です。つまり

軽騎兵で敵陣の後方をかく乱

馬の運搬力で機関銃や工具を運び
必要に応じて野戦築城して迎え撃つ

という両面を使い分けています。これは、織田信長で言えば

桶狭間と長篠の戦

の両面を行ったということです。しかしながら「坂の上の雲」では、軽快な動きだけに注目し、馬の運搬力には注目していません。確かに、小説的には

騎馬による突撃

の方が絵になり

穴を掘って迎え撃つ

は、格好が悪いかもしれません。しかし、現実に奉天の会戦でも、こうした野戦築城で多数の敵をあしらいましたし、当時最強のコザック騎兵も、障害物と機関銃の対応を怖がっていました。

このように考えると

馬の運搬力に着目した秋山好古

は天才的な指導者と思います。

さて、このようなミスリードは、小説としての見栄え、が原因でしょうか?

私は、もっと深い原因があると思います。それは、日露戦争後の、日本国の軍事指導方針の大転換です。つまり

日露戦争中までは
現実的な物量主義
ー>
日露戦後は精神主義

という変化です。一例を挙げれば

日露戦争中は日本軍は銃に充分な弾丸で攻撃
ロシア軍は銃剣を多用

と言う状況でしたが、日露戦争後は

日本軍人の精神力は銃剣突撃で勝つ
銃弾は無駄使いするな

という精神論になります。この文脈では

騎兵は奇襲が本分
銃弾を浪費する機関銃など論外

となります。こうして日本軍人は

ならぬならぬは工夫が足らぬ
桶狭間の奇襲こそ戦術の模範
日本精神は世界最強

というカルト集団化しました。

さて、こうした転換は、何故行われたのでしょう。これは、日露戦争時の日本国の指導者達が、しっかり現実に向き合っていたからです。彼らの発想は

対ロシア戦は弾薬など十分必要
しかし
その後の軍備は縮小する必要あり

です。しかしながら、これを全国民に知らせると、国防体制もガタガタになるし、ロシアですら、再度戦うと言い出しかねません。そこで、こうした本音を隠し

一般軍人には精神論と奇襲主義

で教育を続けるという、選択をしたのです。その結果

旅順攻撃は乃木将軍の正攻法が正しい
しかし28糎砲弾等を大量消費する戦いを後に真似させない
ために陸軍大学などの教育では
「例えば早期に203高地を落とすなど、工夫の余地あり」

と言う発想が、軍の幹部にできていました。

こうして、軍事の瞬発力を、平時の抑制的軍事予算に切り替え、しかも軍人のモラルを守るという、離れ業に成功したのが、日露戦争後の日本です。

さて、このような精神論的軍隊は

本格的な戦いを継続するには無理がでる

という欠点があります。

これが、もろにでたのが第二次大戦でした。明治の実戦経験豊富な元勲がいなくなり、陸・海軍大学出身の「優等生」が

教科書妄信の戦い

で、国を敗戦に導きました。

このように考えると「坂の上の雲」も

精神論的軍隊への誘導

に、影響を受けていたようです。

前に書いた
日露戦争後に乃木軍が嫌われた理由|鈴木良実 (note.com)
も参考にしてください。

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