「即」の発想
仏の智慧は、私達の今までの学問知識を超えています。これを表す一つは
即
の考え方です。
「色即是空 空即是色」
は、般若心経の有名な一句ですが、このように
原因結果の関係でもなく
包含関係でもない
と言う関係です。例えば
一心より一切の法が生じるのでもなく
一心が一切の法を含むのでもない
心が全てであり、すべてのものは心である
と言う関係です。
さて、この「即」を正しく知り、正しく信じるために、六つの段階があります。理即と、名字即と、観行即と、相似即と、分真即と、究竟即です。これを
六即は凡夫に始まり聖人に終わる
と言います。凡夫から始まるので、疑いためらうことはなく、聖人で終わるので慢心することを避けます。
理即
理即とは、理屈を知ることです。「全てに仏の心が有る」等を知ることです。
名字即
こうした、仏の教えは、経典を読んだり、優れた人から教えて頂く、こうして理解していくのが、名字即の菩提心です。
観行即
経典を見たり、それを口から唱えるだけでは、虫が木の葉を食べた跡が、たまたま文字になったようなモノです。だから修行者は、心を明らかに観じて、真実の理に智慧が合致するようにし、言行一致を心がけます。
相似即
これは、仏や菩薩に近づいていく段階です。
分真即
ここまで来ると、仏の智慧が見えてきます。相手に応じて救いの手を伸ばすことができます。
究竟即
智慧の光が円満になり、仏の悟りの世界に浸ります。
ここで興味深いのは
理で理解は凡人の境地
としていることです。もっと言えば、学校教育も、その次ですね。現在教育への反省を込めて、この考えを知っておくべきでしょう。