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胎蔵曼荼羅が教える
昨日書いた
「公案解答集」で悟りを実現?|鈴木良実 (note.com)
について、もう少し考えてみました。
この問題を一般化すると
断片的な行動から
その人格を再構成できるか
という問いになります。これに対して
論語を読んで孔子の心境になる
というのが、一つの答えです。
しかし、今回は仏教の立場で、もう一歩迫れないか、考えました。一つの切り口は、大日経と胎蔵曼荼羅です。大日経には
菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とする
という三句の法門があります。つまり、仏の心が
色々な手段(方便)で展開する姿が行き着く所
という発想です。もう少し言えば
凡人には具体的な行動しか見えない
という面もあります。
さて、この大日経を具体化した、胎蔵曼荼羅を見ていくと
中央の大日如来が菩提心
周囲の八葉の四仏四菩薩が大悲
その周囲の多くの諸尊は方便
を表しています。こうして
菩提心が慈悲で展開し色々な方便で救う
姿が表されています。例えば
慈悲の観世音菩薩は
中台八葉の南西の位置から
西方の蓮華部院で多様な姿を展開
しています。詳しくは
両界曼荼羅 - Wikipedia
を参考にして下さい。
さて、ここでこのような胎蔵曼荼羅を見ていると
周囲の多様な方便から中央に向かう
流れが見えてきます。上記の例では、観世音菩薩の種々の姿が、中台八葉の観自在菩薩に収束し、更に四仏四菩薩が、中央の大日如来に収束します。
こうした
具体的な手段から本質に向かう
と言う見方と
菩提心が種々の方便に展開
の両面でみる
と、抽象的な菩提心とは
多様な方便を可能にするモノ
として見えてきます。こうした形で
断片の大きな集まりから
本質を見いだすのは可能
と
胎蔵曼荼羅が語る
と私は見ています。