水月の心
ここしばらく書いている、日本文明独自の議論法について、一つの仮説は
武道の心
です。一例を言うと、立ち合う時に
相手を水が月を映すように心に描く
ことで対応します。相手が切りかかれば、そのまま切り倒すし、害を与えなければ、そのまま行違う。こうして
水面が乱れなければ月が映る
という譬えで、平常心の重要性を解いています。
さて、ここで大事なことは
他人はわからない
でなく
月のように映る
と考えることです。自分の心の中に、他人の心を映し
自分と違う発想も展開
させえる可能性が出てくるのです。
このような可能性があれば
お互いに相手の考えを思いやり
議論する
ことも可能だと思います。
なお、このような
他人の心を描く力
は、従来の日本的学問では、普通の手法でした。一例をあげれば
論語という孔子の言動集から
孔子の心境になる
という学び方です。
西洋文明は、論理的に記述して、効果的に伝達し、議論する手法を生み出しました。これは素晴らしい力を持っています。しかし、別の道もあるのです。