和魂の復活で現実的思考へ
1.明治以降の「和魂」
私達は「和魂」というと
国家神道の大和魂
と言うイメージが大きいと思います。しかし、これは明治維新後の
急速な西洋文明導入
の予防策として
行きすぎた西洋化
に対応するために生まれたモノです。明治時代や昭和の敗戦後には
漢字を捨ててアルファベット利用
等の過激な発言が出ていました。これは、韓国では
漢字を廃止してハングルに統一
と言う風に実行しています。それを止めたのは、明治の先人達の
洋才の翻訳努力
です。現在日本は
大学の教科書も日本語
と言うレベルに、翻訳が育っています。これは、世界の多くの国では、出来ないことです。多くの国は
高等教育なら英語で学ぶ
状況です。
こうした、国家の独立性を保つためには
和魂洋才のスローガン
が有効でした。ここでは
洋才:現実に根がある知識
和魂:神がかりの精神論
と言う分担です。
2.江戸時代の「和魂漢才」
しかしながら、江戸時代までは
和魂漢才
でした。そこでは
漢才:建前の理論
和魂:現実対応の本音
と言う使い分けがありました。例えば
漢才:孫子の兵法を読む
和魂:戦場の体験で身に付けるモノ
と言う関係です。これで、豊臣秀吉の朝鮮半島での戦いでも、物量も勝る明の兵に対して奮戦しました。ここで注目点は
漢才は現実的でない
と多くの人が感じていたことです。
3.洋才の力
さて、江戸時代でも
蘭学という洋才
が、医学などから入ってきます。ここで注意すべきことは
漢方医術の五臓六腑は解剖結果に合わない
蘭方医術の解剖教科書は解剖結果と対応
と言う関係です。こうした「洋才」の力で
知識が直接役立ち力となる
が実現しました。この結果
学校で学んだら即力
と言う、学歴支配が出てきました。
4.洋才の限界
さて、こうした「洋才」は、古代ギリシャの哲学の子孫です。その発想の基本は
幾何学のように理想化して考える
です。もう少し具体的に言うと
地図の上で考える
です。アフリカの国境を見ると、緯度経度に従って、線が引かれているところがあります。これは、当時の植民地支配国の間で
現地を見ずに境界線を決めた
結果です。
これも参考にして下さい。
洋才の限界を考える|鈴木良実 (note.com)
5.和魂の復権
日本の文明では、鎌倉幕府の2代将軍源頼家が
地図の上で線を引いた裁定を行う独裁者
と批判されています。こうして
漢才の認める権力の独走を押さえる智慧が和魂
でした。
私たちは、現在は多くの知識があります。こうした「洋才」は
ある種の理想化した上で成立
するモノです。従って
現実対応では総合的に見て修正
が必要になります。こうした
総合的な見方が「和魂」
だと思います。「洋才」の知識を活用し、その上で現実に対応する「和魂」を生かすことが、現在社会の色々な問題を救うでしょう。