現在に法華経を活かす
法華経は、当時の主流であった「小乗」の教え
仏の力は衆生の及ぶものではない
に対して
迷えば衆生悟れば仏
衆生でも仏の智慧を得る
という「大乗」の教えを説いています。仏の智慧は
無量の衆生を我が子と見て
一人一人の幸せを導く
ような、人間ではできないような力を持ちます。
さて、現在社会で私たちは
西洋文明の教育
を受けています。そこでは、意識しないでも、古代ギリシャの哲学からの伝統が、底流に流れています。特に、プラトンの「洞窟の比喩」にある
我々は束縛され現実の影絵しか見ない
というあきらめがあります。
これは、まるで
法華経がいうところの「小乗」
でしょう。この諦めは、例えば政治や経済の場面で
個別のモノを観ず統計値で議論
などに出てきます。近頃でも
株価が最高値
だけを見て浮かれているが
その中身や意味を見ない
人が多すぎます。確かに国政の決断では
平均値などで判断
は必要かもしれません。しかしそこには
一人一人の個人が生きている
ことも見る必要があります。法華経で言う
今此の三界は
皆是れ我が有なり
其の中の衆生は
悉く是れ我が子なり
の智慧を、私たちが持つことができると信じて拓く。これが現在に
法華経を活かす
ではないでしょうか。