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渉成園にて
本抄の執筆を念頭において、光源氏のモデルのひとり源融をたどり、京都の渉成園を訪れたのは昨年の五月のことでした。
河原左大臣、とも呼ばれ、六条河原に大きな屋敷を持っていたとされます。その邸宅については本編で触れようと思いますが、古来この渉成園は六条河原院の跡地だと伝承されてきました。しかし歴史的に検証すると実際はもう少し北東の方ではないかと近年では言われているそうです。
そうは言っても、心落ち着く素晴らしい庭園で、私はひとり気ままに散策をしていました。五月晴れの空は眩しく、園内の緑はひときわ鮮やか。静まりかえった木々の中を贅沢にぼんやりと…
何かが騒がしい気がして、ふと我に帰りました。何だろう?すぐには分からず立ち止まって辺りを伺ってみます。
すると、通り過ぎた池の方から、鳥のけたたましい鳴き声が聞こえてきます。
(鳥かぁ)
安心した私は、先へ進もうとしますが、妙にその鳴き声が気になりました。
何か、尋常じゃないものを感じたのです。
今来た小道を戻って、鳴き声のする方を見てみると、やはり大きな鳥が一羽、石塔の側で鳴いていました。
ですが、私がカメラを向ける頃にはすっかり鳴き止んで、毛繕いを始めたのでした。
(ふうん…あの塔は何だろう?)
案内を手に持ちながら見ることもなく、黙々と景色を堪能していた私は、ようやく庭園のパンフレットをめくりました。
それは九重の石塔で、源融の供養塔と書かれていました。
その供養塔は渉成園を造る前からこの辺りにあったと言われています。
ここが六条河原院でないのなら、その石塔が何の為の塔なのかはっきり分からないということになりますが…
ですが、私にはその鳥の鳴き声が、融さんが「よく来たね」と出迎えてくれたものに思えて嬉しかったのです。
今もよく覚えています。
今思えば…
今思えば…
いつも、いまだに、そんなことの繰り返しです。
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