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太閤秀吉の夢とは?

大阪、豊国神社を訪れました。いつかはと思いながら、近いとかえって行けないもので、そういえば思った時にちょうどコロナ禍で足止めをくった形のままでした。
先日、寺岡呼人さん主催のgolden circleのライブへ行った際に、せっかくなので参拝することにしました。


桜はほぼ満開で秀吉さんもご機嫌でいらっしゃったでしょう

いつものことではありますが、実際に訪れると、思わぬ発見があったりします。
今回はこれです。


太閤の「醍醐の桜」

何故ここに!?と思いましたが、秀吉さんと縁の深い地ならば当然ではあります。
何年前のことだったか忘れましたが、電車の駅で見かけた醍醐寺の桜のチラシを見たら、何がなんでも見にいかなくちゃ!みたいな気分になって、突っ走った自分の行動が滑稽過ぎて愛しくて笑えます。
何故あんな衝動にかられたのでしょうか。

桜の花見といえば豊臣秀吉を思い浮かべるほどお花見を好んだ方ですが、そもそも何故そんなに桜が好きだったのか、疑問に思い調べてみる事にしました。

ざっと見ただけなので、何故なのかは分からないものの、思いがけない事に気がつけました。
醍醐寺で盛大なお花見を行ったのは、1598年4月20日のこと。
秀吉さんが亡くなったのは、その年の9月。
もう間際だったのですね。知らなかったなー・・
自分の死期を悟っていて、この花宴を開いたのかもしれない、という話なのです。
これが本当かどうかは分からないけれども、私もそうなのではないかと思っています。
この花宴には、息子の秀頼と前田利家以外の武将(男性)は一人もおらず、1300人もの参加者は全て女性だったとか。
もう、そういう心境だったのでしょうね。

この醍醐の桜は、醍醐寺の太閤の枝垂れ桜のDNAを用いたものだそうです。


この看板を読んでいてハッとしました。
Mr.Childrenのファンの方ならお気付きかと、いや、もしかして有名な話なのかな?

私はてっきり、これを読んだ桜井さんが歌詞に入れたのかなと思ったのです。
それで、半世紀へのエントランスDVDの東京公演の最後で「これは誰の言葉だろうね〜」って言葉とJENさんの涙の理由が分かった!と早合点。
が、調べてみると、その歌詞が入っている楽曲simpleが入っているアルバムは1999年のリリース。
この看板に書いてある平成26年は2014年。
うーん、歌が先?合ってる??

ということは、大阪観光ボランティアガイド協会様の中にファンがいらっしゃる?
それとも、たまたま?
謎はますます深まる(笑)。

なんでも深読みしたがる傾向は、長所でもあり短所でもあり。
でも、もし歌詞からイマジネーションを受けられてのことなら、嬉しいなぁと思いました。
こんなところでも愛されちゃって〜と。

今回のライブの選曲も含めて考えると、余計にそんな気がしてきて…

秀吉さんはそんな気持ちで、醍醐寺の桜の下で、ひと時を過ごしたのかもしれないですね。

Mr.Childrenとボランティアガイドさんの立て看板に教えてもらった、儚い歴史のひとコマでした。
(この看板見なかったら調べていないのでホントです)


空襲で焼け野原になった大阪城周辺の写真を見せていただきました。
焼け野原に大阪城だけがポツンと無傷で残っていました。
とても異様な光景です。
何故かというと、米軍が爆撃する際の目印にしたからだそうです。
目は点になり、言葉を失いました。
こういう話もよく知られたことなのかもしれないと、自分の無知と浅はかさを痛感しました。

これはこの後伺った神社の宮司さんから教わったことです。


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