想いは言葉に 言葉は空に
国語辞典を読み切ったきみには敵いませんが、わたしもそこそこの本好きです。小中高と図書室に通い詰め、暇さえあれば活字に目を通していました。社会人になって読む数は減りましたが、気になる本があれば買って読んでいます。
わたしには、宝物とも言える一冊があります。作家、小山清の『風の便り』という本です。きれいな装丁だなあ、という印象が最初の出会いでした。
購入に至るきっかけは、帯に書かれていたこの一文でした。
「好きな人のことを褒めることで生涯を送りたい」
この文字をみたとき、ひどく心に訴えるものがあったのです。わたしに足りないピースを埋めてくれる、そんな予感がして、どうしても傍に置いておきたいと強く思いました。
本の発売は1か月さきのことでした。偶然にも、わたしが生まれた日の数日前に取次ぎに搬入されるようです。
せっかくなら誕生日に買って記念にしようと、扱っている本屋を探しはじめます。ですが近場ではまったく取り扱いがありません。
さらに調べると車で30分、そこからさらに電車で30分のところにある、街の大きな書店でしか売られていないようでした。しかも誕生日などとうに過ぎた日にしか店頭に並ばないのです。
わたしは悩みました。
こんなにも惹かれる素敵な本は、ぜひとも望む日に手に入れたい。
九州の発売が2、3日遅れるのは当たり前です。いくらごねても買えはしません。
通販なんてもってのほか。ずっとずっと遅れて届きます。
いっそ取り扱いの多い関西まで向かってしまおうか? ぐるぐると思考をめぐらせていると、ふとあることに気がつきます。
そういえば、誕生日はきみを観に東京へ行くのでした。
舞台も観る、ほしい本も買う、なんて完ぺきな計画なんだろうと浮き足立ちます。さっそく関東の取り扱い店舗を洗い出しました。
昼公演の前に行けそうなお店をいくつか見つけて地図アプリに保存します。選びだした書店を吟味して、駅からほど近い丸の内の店舗に絞りました。
1か月後、慣れない都会の喧騒に揉まれながら、目あての本屋に向かいます。1階から4階まで、まるごと本が詰まっているお店でした。こんなに沢山あっては、どこに何があるのかさっぱりわかりません。こういうときは文明の利器を使うに限ります。
いそいそと店の隅に鎮座する端末に近づきタイトルを入力しました。あと少しで手に入るのだ、と期待に胸を膨らませ決定ボタンを押します。
しかし、膨らんだ感情の風船は、無情にも画面に映る無機質な文字にぱちりと割られてしまいました。
「その作品は見つかりません」
頭のてっぺんから、さあっと血の気が引いていくのを感じます。間違って入力したのかもしれないと思って一文字ずつ丁寧に入れ直しても、やっぱり結果は変わりません。
ならば、と今度は著者名で検索をかけます。該当する書籍はずらりと出てきますが、わたしの求める『風の便り』はどこにも書かれていないのです。
機械の前で立ち尽くしていると、レジにいる店員さんがこちらに視線を向けていることに気がつきました。
震える声で尋ねます。
「この本を探しているんですけど……」
手に持ったスマホで書影を見せました。
「少々お待ちください」
そう言うと、紺色のエプロンを身に着けた女性は奥へ引っ込んでいきました。なにやら話し声が聞こえますが、でてくる気配は一向にありません。
2分、3分と時間だけが進みます。時計の針が角度を変えるにつれ、わたしの感じる時の流れはどんどん遅くなっていきます。わずかに残っていた期待は不安に塗り替わり、鉛のようにずっしりと重くのしかかりました。
となりのレジでは本を買い求めるお客さんがひっきりなしにやってきます。誰もいないレジの前で棒立ちのわたしを、不思議そうな顔で見つめる人もいました。
もしかしたらここには無いのかもしれない……。そんな心配が頭をよぎった頃、ようやく店員さんが顔をのぞかせます。
「今、担当の者が持ってきます。もうすこしお待ちいただけますか? 3階の倉庫にあるらしくて、ちょっと時間がかかります。どうも昨日届いたみたいで……」
どうやら、わたしがひとりめの購入者のようでした。運ばれてきたばかりでまだ荷ほどきすらされていなかったのです。
ほどなくして、別の女性が駆けてきました。手に持った包装紙から待ち望んだ本が覗いています。
「こちらでお間違いなかったですか?」
差し出された現物を見て、わたしはほっと胸をなでおろしました。と同時に、忙しい時間に手を煩わせてしまった申し訳なさがこみ上げてきます。そんなわたしなどお構いなしに店員さんは慣れた手つきでカバーをかけてくれました。コイントレーを促され、会計をすませます。ようやく買えた念願の本を手に、昼の公演を観るべく駅の方へ足を向けました。
本を開いたのはそれから数日経ってからのことです。友人に、仕事に、生まれ育った町に、そして一人娘に向けた言葉で溢れていました。
帯に書かれていた文は、はじめの章に載っていました。夕張の友にあてて書いた、私信のような内容でした。ですが本人に読ませるつもりはなかったようです。それでも、思い出話をぽつりぽつりと進めていくようすが、ひとり語りに見えても他に誰かがいるように思えました。作者の記憶の中にいる友人が実体をもって現れ、2人でお茶を飲みながら語り合っている、そんな感じがするのです。
小山清のゆたかな筆致は、読者にじんわりとあたたかな気持ちを与えてくれます。わたしもこんな文章が書けるようになりたい、そう思わせてくれる本でした。
そして、『伝える』という意識が変わった一冊でもあります。誰かのことを思ってしたためた言葉は、人に読まれなくても優しくそこに在り続けるのだと気づきました。わたしはこの本から感じる想いごと、人生の指針にしたいと思っているのです。
きみに贈る言葉は、いつまでもきれいで、淀みないものでありたい。そんな祈りを込めて、想いを綴ります。
読まれなくてもいい。届かなくてもいい。形として一瞬でも残れば、それでじゅうぶんなのです。
願わくば、この陽だまりのような日々が長く続きますように。