記録をつけることは息を吸うようなこと?
こんにちは、最初のnoteです。
勧められたし、周りで細々やっている人を何人か見かけていたし、私も始めてみることにしました。
実は1週間前に始めようと登録して途中までnoteに直接書いていたのですが、1時間くらい経ってから見たら、接続が切れていて下書きが跡形もなくなって見えたので、しばらくやる気が失せていました。(でもさっき見たらちゃんと残っていました笑 まあいいや。)
スマホのメモに書いてからコピペすべき、ということを身に染みて学んだ、と言えます!
そして、noteに何を中心に書こう、と考えつつさっきまで放置していたのです。1週間前は、日常のささやかな出来事や思ったことを書こうとしていました。それも気が向いた時やりたいです。ただ、メインは読書記録なんていいんじゃないか、と思い立ちました。
記録をつけるということ
新しい気づき、というほどのことではないですが、私は記録をつけることが好きなのかなと思ったもので。
例えば、私には、幼稚園生の時から気が向いた時に書く日記というものが存在していました。主に姉がいたことが大きいと思います。字を書くこと、思ったことを言葉にすることを早くから教えてもらえたので。姉と共同で1つのメモ帳を使ってそれぞれ色々書いたやつもありました。親に紙とペンを与えられて、最初は変な絵を描いたり子供特有の下品なことも書いたりしたけど、書いて読み返して、をしたことで無意識に内省する癖がついて、文章に倫理的な問題がないかとか確認するようになったと思います。今でもとってあって、まあどっかいっちゃったけど、たまに遭遇すると、うおーっと読んじゃいます。小さい時から字を書くことが習慣化していたから、字をきれいに書く、味のある字を書くこと自体が好きになって、書道をやることになった?とか、後付けだけど結びつけて楽しんでいます。
さて、中学生くらいになると、夏休みの日記の宿題がおざなりになる人も多いと思います。私も宿題としての日記はそんなに気乗りするものでもなかったです。とはいえ、一旦手をつけるとどしどし書いてしまう習性はありました。
そして中学2年生の私は、思春期あほらしノートという日記を作りました。ミニノートって、縦が15cmくらいしかないやつありますよね。あれにとても小さな字でうじうじしたことをたくさん書いていました。ノートの罫線細かいですからね。実は今も続いていて、5冊目くらいかと思います笑。もう思春期じゃねえ〜〜(?)というツッコミはさておき。毎日書くものではなく、書きたい!と思った時にたくさん書く、という使い方で、大抵夜遅くに書いていました。ミニノートだったところもポイントで、日記帳!みたいにしっかり用意してしまうと面倒くさくて書かなくなる気がしたので、ちっさいノートを用意したのです。というか、手元にちっさいノートがけっこうあったんです。このミニノート作戦が功を奏し、気づけば地味に続いてしまいました。
他にも記録好きを実感したのは、わりと最近、教育実習中に実習日誌をつけた時。日誌の記述欄は、枠が囲まれているだけで、字の大きさも詰め具合も自由でした。このデジタルな時代に、全部アナログに書かなきゃならないので、周りには貯めに貯めまくり、最終日にひぃひぃ言いながら一気書きする人もいました。また、先に実習に行っていた友達に、日誌はきついよ!と言われていました。でも私はほとんど貯めることはなく、あまり日誌をきついと感じることもなく、むしろその日あったことや自分が思ったことを事細かに残しておきたい、みたいな感覚で書き進められました。実習中も空きコマが発生して、そこで日誌書いたり授業準備したりするんですが、日誌を広げていたら、近くにいた実習仲間に度々驚かれました。字が細かすぎたらしく。確かに見返してみると自分でもよくこんな書くなあと思うくらいでした。先生に提出してきましたが、こんなん先生、読みたくないよな。
なんのために書いたのか?よく分かりません。読み返したくなるかもしれないな、とは思いますが。でも思うのは、日常の小さな気づきって、強烈に思った時に書き記すか吐き出すか何かしておかないと、当然のように忘れていったり、自らその気持ちを隠してしまったりする、ということです。私もどんどん忘れていっているし、薄れていく記憶にもいいところはありますが、記録が好きなのは、そんな細かい感情を残したい、それが人間らしいな、生きてるな、と感じるからだと思います。嬉しかったのは、実習で一緒になった仲間に「それ才能ですよね。」と言ってもらったこと。自分にとって詳細に記録することは普通の行動だったし、別に何かの役に立つと思ってやっているわけではなかったですが、そうか、個性なんだな、って感じることができました。その人は、クールめで、話すスピードが速いオタク気質ありそうな女の子でした。近づきにくかったのですが、それを言われて一気に好感度アップしました。
あとはコロナになってから始めたこととして、日常を切り取った感じのゆるいイラストがあるんですが、あれも記録、ですかね。話を盛ることはあれど、根本からフィクションなことは描けないのが現状です。まあでもプレバトの夏井先生も、実体験は貴重、てなこと言っていましたよね。
ミニノートと同じ
はい、というわけで、例が長すぎたのですが、記録をつけることなら苦にならないのでは、と思ったし、読書欲が私はたまにわんさか出てきたりするので(そしてまた沈静化するのですが。)読書記録にしようと思います。
ただ、記録を書くために読書する、みたいな、目的と手段を履き違えることはないようにしたいです。インスタに投稿するために映えスポットに行く、みたいな。あれの気持ち、わからなくはないから辛いです笑。私もそういう、投稿でアピールしなきゃ!みたいな時期ありました。私の場合ひねくれていて、単に皆がよく行く映えスポットや映えスイーツを出すのがいいとは思わなくて、なんか変わったことやってる自分を演出したい、てのがありました。例えば寄席に行ってきた〜!とか自転車で空港まで走った〜!とか。若いのに落語なんてオツだね、自転車旅なんてパワフルだね、と思われたいみたいな笑。まあ少し変わったことをして、見せたい、というのは今もこれからもあるけど、自分軸でやっていることじゃなくてただ共有したいだけだったら、どんな投稿も辛くなっていくだけだと今はもうわかりました。
ミニノートが功を奏したように、noteには気軽さを求めていきたいですね。書くぞ!みたいな気持ちではなく、思い立った時につまらない一言でも書こ、というような。
枠や罫線がある紙にギリギリ書くのはけっこう得意です。学校教育とか受験勉強とかTwitterとかの賜物かな。でもやっぱり、制限というのはプレッシャーに感じます。
「ひたすらに白紙」、むしろそっちの方が私は慣れていないかもしれないです。慣れていないというか、「ひたすらに白紙」との付き合い方に悩んでいます。
「ひたすらに白紙」、なんだかいいな。人生。(?)
では!ヾ('ω'⊂ )))Σ≡アデュ-
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