見出し画像

読書記録2 レインツリーの国

お久しぶりです。読書記録はまだ2回目…。今回は有川浩さんの『レインツリーの国』について書きます。

この前図書館に行きました。知り合いに勧められた小説を探しに行ったんですが、その時見た限りではそれはありませんでした。文庫コーナーにも行き、ないな、とわかったと同時に目的を丸っきり変え、気になる本を借りることにしました。
そこでよく知らないで、手に取ったのがこれです。薄めだったし、タイトルは聞いたことがあって、紙飛行機の表紙にも何となく惹かれました。裏のあらすじを見たら、メールの交換から始まったネット→リアルへの恋愛もの?ということで、出版されたのはだいぶ前でその頃はまだ珍しかっただろう話が、今は一般的になってきたよなと興味を持ち、借りました。

感想を書きたいのですが、ネタバレにならないように話すのって難しそうですね(^^;
まあ主題はそこじゃないと思うし、あらすじ知ってても読む価値はあるので、内容もやや含めて話しちゃいますね。
なので嫌だったら読まないでくださいね!笑

ネットの細い繋がり

今はこのnoteもそうですが、ブログや記事といったインターネット上で文章を綴り発信できる媒体が様々あります。それに受け取り手は、割と発信者と近い存在になれてコミュニケーションも楽にとれたり複数のSNSで何重にも繋がっておけたりしますよね。
でもこの本が書かれた時代は10数年前なので、まだそういう媒体の数が少なく(存在はしたけど利用者が少なく)、発信している人にアクセスする手段もメールくらいしかありませんでした。
そんな状況だと、ネット上の繋がりとは、本当に細い糸がかろうじて伸びているような関係です。すぐに完全消滅できるような関係です。
そんなネット恋愛の走りが描かれています。

ネットからリアルへの移行

図らずもこのnoteの使い方と同じような感じでしたが、ブログに本の感想を綴っている女性が登場人物として出てきます。主人公が、密かに感想を共有したいと大事にしていた本についての彼女の文章をネットで見つけ、感動して興奮状態でメッセージを送ったのが始まり。
返事が来ることを期待していたわけではなかった主人公ですが、メッセージでウマがあってその後ラリーが続きます。
で、直接会っていなくても何かで分かり合えた、とか強烈な印象を残した、といった人のことは気になって、もっと知りたいとか思ってしまうものです。主人公は彼女と会おうとし、会うことになります。

私はこの主人公の行動について、けっこう共感してしまいました。ネットの時代にアレですけど、正直私はアナログな人間な方で、人間関係てのは直接築くものと思ってる節があります。なんかとりあえず色々な人と繋がっておきたい、ていうのは今のところあまりないかなと思います。会って何になるのかと言えばわかりませんが、楽しいことを期待してだと思います。
で、言葉のつむぎ方というのは直接会っていなくても人柄が出てしまうもののようで、それをしばらく回数を重ねて見聞きし、直感で判断したことは基本間違っていないと思います。だからネット→リアルに移行することによる人間の中身への大いなる残念感は少ないのでは、と私は思っています。この主人公が彼女に会って感じた率直な意見にもそれが表れていたと思います。

私が感じた物語の味噌

脱線しました。そして物語はここから…!なのですが中身の紹介ではないのであらすじは置いておきます。でも味噌となるポイントは話してしまいます。
それはズバリ、彼女はあることで強いコンプレックスを抱えて生きているということです。そして、主人公に対して、初めはコンプレックスの中身を知られたくないという気持ちがあったり、その後はどうせ自分のコンプレックスを理解できるはずがない、と突き放してしまったりします。それに主人公がどのように向き合い、彼女自身も向き合うことになるか、が見どころだと思います。

私がこの本を読み一番心に刺さったのは、上にも述べた、コンプレックスとの向き合い方です。たぶん人は、多かれ少なかれ、自分の心にある傷を信頼のおける人に理解してもらいたいと願います。
でも本当の意味で他者の痛みや辛さを理解することは実は誰にもできません。皆別々の人生を歩んでいて、似通った経験をしていても、たとえば同じ種類の失敗をしたとしても、同じ病名の病気を患ったとしても、状況は細々と違うのが当然で、感じ方も人それぞれです。
だから、そのコンプレックスを感じているある1点において自分より優れている人と接した時、私達は「この人に自分の苦しみがわかるわけない」と思うことで、劣っている自分を擁護し、相手と、自分自身と、向き合うことから逃げてしまうことがあります。悲劇のヒロインを演じてしまう、というのに近いと思います。こうした状況が、少しわかる気がしてとても心に残りました。
どうしようもない出来事があったりして、自分に足りないことが生まれると、悲しくなってしまうのは仕方のないことです。でもそれを心の底では人のせいにしていたり、弱みを隠し最初から他者に期待しないようにしたりすることで、殻に閉じこもってしまうこと、これがどんなに勿体ないか、と強く感じました。
今まで誰にも言えないようなひどい経験をしてきたかもしれません。それで色々萎えて半ば諦めの境地なのかもしれません。でも人間、捨てたもんじゃないと思います。今まで出会ってきた人とは全く受け止め方の違う素敵な人が実はいるかもしれません。

最近はむしろ、相手に期待しすぎるのはよくない、という話を主に恋愛面でよく聞きます。こんな言説がはびこっているのは、相手に期待しすぎて病む人が多いからだと思います。経験値低いやつがここについて語るのはお恥ずかしいのですが、確かに、価値観は違って当たり前だよね、という前提は必要な気がします。
しかし、だとしたら余計に、違う価値観を前提として、コンプレックスについても実はこうなんだ、とそのままに相手に伝え、受け止めてもらうことは期待してもいいだろ、というメッセージが込められていたと思います。
しかもその相手というのは、誰彼構わずではなく、自分が信頼できると思っている人なのだから。その人に、ただ少し私はあなたと違う、ということを理解してもらうだけです。あれをやれ、これをやれ、という期待ではありません。
この本を読み、コンプレックスの重さによっては、誰かと一緒にいることにおいて立ちはだかる壁も高く分厚くなってしまうことがあるとわかりました。でももしそのコンプレックスも含めて気にかけてくれている人がいるなら大事にすべきなのでしょう。わかるわけがない、と逃げずにです。

コンプレックスを乗り越えた先に

コンプレックスはその大きさや中身は様々ですが誰しも抱えているものかと思います。完璧な人はいないので。で、結局はそれでも生きていくためには、自分と向き合うことなんだよなとも感じました。
ただ、自分一人で自分の傲慢さに気づいたり、道が切り開けると知ったりすることは難しい場合もあります。だからこそ人は助け合うのだなあと思います。

なんか、綺麗事みたいになってませんかね。こんなことを感じたはずなのですが、うまく言葉になっているかどうか?笑
私も個人的に、コンプレックスを乗り越えた恋って憧れますね~笑。言うて私は最近本当に自分は恵まれているよな、感謝しろ、と感じてしまいます。もちろんコンプレックス、ありますが!笑 もはや恵まれすぎコンプレックスとかありそうですね。なんつってです。
ただ確かに、何かしらでコンプレックスを持った経験や、それを自分で、あるいは助けをもらって乗り越えた経験があると、他の人の心にも寄り添えるようになると思います。
主人公の、コンプレックスを抱えた彼女への接し方は気持ちいいくらいに人間味がありました。

この本は、人との違いをどう受け止めて関わっていくかの肝を伝えてくれる小説だったと思います。
最近はドラマとかでも、多様性をテーマにしているものがよく見られますね。気持ちのいい付き合い方をたまに立ち止まって考えたいですね。

それではまたヾ('ω'⊂ )))Σ≡アデュ-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?