早く何者かになりたくて詩を書き始めた2年前の私
文学フリマへの出店に向けて、そろそろ動き始めなければならない。今回は詩集を作りたい。そこで、自分が過去に書いた作品を掻き集めている。
私が本格的に詩を書き始めたのは大学卒業の頃、2年ほど前のことである。別に詩に関する勉強はしたことが無い。(厳密に言えば、大学で現代詩の授業を取ったことがあるが、先生の授業が下手すぎて興味が持てず、毎回顔を伏せて居眠りしていた)
詩の勉強どころか、国語の教科書以外で詩に触れることも無かった。自ら進んで詩集を買ったことも無い。
そんな私がなぜ詩を書き始めたかと言うと、早く"何者か"になりたかったからである。
それはつまりどういうことかと言うと、"作家"という職業名を手に入れたかったのである。
私は大学卒業の頃、就職活動に失敗した。1年かけて就職活動したけれど、私はどの企業にも採用されなかった。まわりのみんなには当たり前にできたことが、私にだけできなかった。それどころか、長く続いたストレスで精神的な病気が悪化し、アルバイトすらできない精神状態に追いやられてしまった。それはとても屈辱的で惨めで悲しくて悔しくて、言葉には言い表せない気持ちだった。
大学の卒業式の日も、心から喜ぶことができなかった。「みんなは大学生という肩書きが無くなっても4月から"何者か"になれるのに、私は何にもなれないんだ。私はどうなっちゃうんだろう。私はなんなんだろう。」…。そう思って、卒業式の日以降、寝る前になると毎日強い焦燥感に駆られて、隣で寝ている母親にバレないようにこっそり泣いた。
そんな私だからこそ、"何者か"になりたくて仕方なかった。コンビニ店員、学校の先生、サラリーマン、OL、なんでもいいから名前のあるものになりたかった。
大学のゼミで小説を書いていた私は、作家になることにぼんやりと憧れがあった。作家になれたらなぁ、就活なんて失敗しても平気なのになぁ、そんなことを考えたりもした。
そんな大学卒業後のニート生活。拗らせた双極性障害のせいでまともにアルバイトもできず、毎日家から出ずに引きこもっていた。
私が苦しんでいる双極性障害というのは気分に大きく波がある病気で、「自分はなんでもできる!」「自分のやりたいことはなんでも叶う!」と躁状態になる時期と、「自分には何もできない…」と鬱状態になる時期を繰り返すものである。
大学卒業後の私はとにかく就活失敗への悲しさで不安定だった。浮いたり沈んだりを繰り返す。そんな私が何かの拍子にぐんと躁モードに入った時、「そうだ!就職できないなら作家になればいいんだ!私ならなれる!えぇい、そのためには作品を作って応募せねば!」と、動き出したのである。
これが、私が詩を書き始めるきっかけとなった。
完全に躁鬱という病気にに衝動を突き動かされており、正直当時の私が本当は何がしたかったのかはよく分からない。冷静な今なら、「就活失敗したから作家になろう!」だなんてイカれてると思うし、本当に病相が酷かったなと思う。だけどあの頃はとにかく作家になれば、"何者か"になれると思って夢中で書いた。躁状態なので毎日でも新しい作品が浮かんだ。書けば書くほど詩の自由さに気づき、楽しくなっていった。公募に出したら運良く賞をもらった作品もあり、その嬉しさでなおさら詩を書くのが楽しくなった。そう、いつの間にか詩を書くのが面白くなっていったのだった。
文学フリマで詩集を作るにあたって、2年前に詩を描き始めた頃の作品を振り返っている。今と大分作風が違う。
あの頃は1文1文が長いことが私の詩の特徴だった。あまりリズムは気にせず、頭に浮かぶことを順番に書く感じで、スラスラと書いていた。
最近の私はリズムや語感を気にすることを覚え、まるで音楽の歌詞を書くような詩が多くなった。
別にこれらのどちらが正しいとか、どちらが良いとか決めたい訳じゃない。どちらも良かったと思うし、まだこれから先も作風が変わっていくかもしれない。ここまで成長が分かりやすいなんて、詩を書き残しておくのは面白いなと思う。
2年前の私がなりたかった"何者か"には、結局なれなかった。あれから2度目の春が来た。まだ何者にもなれていない私だけど、2年も詩を書き続けている私は、自分のことをそろそろ"詩人"と名乗って良いのではなかろうか。
きっかけは病的な衝動だったけれど、それのおかげで作品を作る楽しさに出会えた。
2年前の今頃の、頭おかしかった私へ。あんたが詩を書き始めるのは間違いじゃないよ。その時限りの衝動じゃないよ。数年後には詩集だって作るよ。だからその道を、突き進んでいいよ。