成田一子「虚実淙淙(61)」より(「滝 令和4年12月号」)
詩人の若松英輔氏は、人が言葉を発するのは、何かを伝えたいのと同時に「本当の意味で言葉にできないものに出会うためでもある」という。
現在、私たちが一日に接する情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の一年分というデータもある。
本来、詩歌とはそのような慌ただしさとは離れたところから生み出されるものではないだろうか。
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![涼野海音(すずの・うみね)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21536629/profile_9d51c527d36a60b0d91fcae961306378.jpg?width=600&crop=1:1,smart)
詩人の若松英輔氏は、人が言葉を発するのは、何かを伝えたいのと同時に「本当の意味で言葉にできないものに出会うためでもある」という。
現在、私たちが一日に接する情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の一年分というデータもある。
本来、詩歌とはそのような慌ただしさとは離れたところから生み出されるものではないだろうか。