飯田龍太著『現代俳句の面白さ』(新潮社、1990年)より
秀れた俳句は、もとより作者の有名無名に関わりない。かつまた、いつかどこかにある筈であるが、どこにあるのかは必ずしもさだかではない。隠れたそのような珠玉を見出そうとする努力は、自作することの面白さに優るとも決して劣るものではないようである。しかも見出したよろこびの珠玉は、自作にとって、なにものにも勝る栄養素を含むところが有難い。
サポートは、句会の勉強会で使っている本代などにあてたいです。 (二つの対面式句会と三つの通信句会を運営中)
秀れた俳句は、もとより作者の有名無名に関わりない。かつまた、いつかどこかにある筈であるが、どこにあるのかは必ずしもさだかではない。隠れたそのような珠玉を見出そうとする努力は、自作することの面白さに優るとも決して劣るものではないようである。しかも見出したよろこびの珠玉は、自作にとって、なにものにも勝る栄養素を含むところが有難い。
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