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【小説】入道雲に重ねる想い

夏が来る度に、あの恋を思い出すーー。

茹だるような暑さと蝉の声。

「はぁ……はぁ……、あっちぃ……」

額を流れる汗を拭いながら、俺は階段を上る。
目指すは階段の先にある場所。

「ふーっ……」

疲れ果てた身体を休ませるため、大きく息を吐けば夏空に浮かぶ入道雲が目に入る。

「……あの日も、こんな天気だったな」

ポツリと呟きながら、遠い目で入道雲を見つめた。
そうすれば胸に熱い感情の影が過ぎる。
今でも忘れられない熱情は、ただ熱いだけでなく確かな痛みをもって俺を襲う。

「咲良(さくら)……」

思わず零れたのは、俺にこの熱情を植え付けた女の名前。
俺を振り回すだけ振り回した後、なんの前触れもなく消えた愛おしくも憎らしい女。

そんな女に出会ったのも、こんな夏空に入道雲が浮かぶ日だったーー。


**

「こんなとこでなにしてんの?おにーさん」

「……あぁ?」

建物の影になっている薄暗い路地裏で、突然アイツは現れた。
傷だらけで横たわりながら煙草を吸う俺を心底不思議そうに覗き込んで、へらりと笑う。
そんなアイツが何故か気に食わなくて、思い切り睨みつけた。

「おぉ、怖い怖い」

大抵の奴らはそれだけでビビって逃げるのに、アイツはふざけたように怖がる振りをするだけで。

「んだ、テメェ……」

正直、得体が知れなくて気持ち悪かった。
こんな見た目からしてろくでもない奴に声をかけてくるなんて頭大丈夫か、と本気で心配してしまう。
放っておいて欲しかったのもあって、わざと傷つけるような言葉を吐いてやろうと思っていた。

なのに、アイツはそんな俺の態度を気にすることなく、へらりと笑う。

「そんな怖い顔しないでよ、ちょこーっと怪我が心配になっただけじゃん」

そう言って、その細い腕を俺に向かって伸ばしてきたかと思うとひやりと冷たい指が頬をなぞる。
その冷たさにビクッと体を揺らせば、アイツが目を細めて艶やかに笑う。

「……手負いの獣って感じだよね。そういうの、ちょっとそそられる」

「……っ、さ、触んなよっ!」

急な雰囲気の変化と妖艶な笑みに顔が赤くなるのを感じて、俺は慌てて手を振り払った。
どくどくと高鳴る心臓を抑えながら、赤くなった顔を腕で隠せばアイツがクスクスと笑う。

「かわいーね、おにーさん」

「っ、ふざけんな!なんなんだよ、お前っ!」

さっきのへらりとした笑みとは違う、心底楽しそうな表情でふざけたことを言うのに耐えきれず叫ぶ。
するとアイツはなんでもないように首を傾げたかと思うと、いきなり真剣な顔をして見つめてくる。

「な、なんだよ……」

その落差に少し戸惑いながら、警戒心を覗かせると小さく、しかしはっきりとした声が落ちた。

「ーーさくら」

「……は?」

聞こえたのは聞き馴染みのある花の名前で、話の繋がりが見えなかった俺は思わず聞き返す。
すると、アイツはまたあのへらりとした笑みを浮かべた。

「好き?」

急になんだと思いながらも、さくらの花は俺が一番好きな花で思わず素直な言葉が出る。

「ああ、好きだ。この世で一番、な」

その途端、アイツが目を見開く。
そして。

「ーーそっか」

まるで向日葵のような無邪気な笑顔を浮かべた。
その笑顔を見た瞬間、俺の中でなにかがストンと落ちる。

俺はあの誤魔化すようなへらりとした笑顔を別の顔に変えたかったんだ、と。
違和感しかない作った顔より、素の笑顔が見てみたかったのだ、と。

だからきっと珍しくはぐらかさずに答えてた。
真剣な顔の中で色を失くしたような瞳を無意識に感じていたから。

その結果、得た笑顔に魅入るように呆けていると、その笑顔がだんだんニヤニヤした顔に変わっていくのに気付く。
嫌な予感がして口元を引き攣らせれば、実に楽しそうにアイツが口を開いた。

「そっかー、おにーさんは私のことが好きなんだね。しかも、この世で一番なんて照れちゃうなぁ」

「んなっ……!? 誰がお前のことを言ったんだよ!」

予想してなかった言葉に熱が集まるのを感じる。
それを誤魔化すために睨みつけて叫ぶが、アイツのニヤニヤした顔は治まらない。

「え〜?だって、さくらが好きだって言ったじゃん。この世で一番好きだって」

「それが何でお前のことになるんだよ!」

さくらの花のことを好きだと言ったのに、まるで違う解釈をする様子にかつてないほど慌てながらも言い返すと、機嫌が良さそうにアイツがぐいっと顔を近付けてくる。

その距離の近さに身を引こうとするが、後ろは壁。
目の前にはにっこりと笑顔を浮かべたアイツ。
なにをされるのかと不安が過ぎる中で耳元に唇を寄せられ、不安が少しの期待に変わる。
吐息が耳にかかるほどの距離で高鳴る心臓の音がうるさいくらい響いて、強く目を閉じた。

そして。

「だって私、咲良(さくら)だし」

囁かれた言葉と耳に軽く歯を立てられた感触で閉じていた目を見開く。
そのまま勢いよく横にスライドをした。

「わ、急にどうし……」

俺の行動に驚いたのか、アイツがこっちを振り向いて投げようとした言葉が止まる。
そして、おかしそうに吹き出した後、あの妖艶な笑みを浮かべた。

「……顔、真っ赤だよ?」

「……っ!!」

そのまま、茹でダコのように真っ赤であろう俺の顔色を指摘され、もともと余裕のなかった俺は耳を押さえて口をパクパクするしかなかった。

**

「ほんと、出会いは最悪だったんだよな……」

そうやって過去の思い出を振り返りながら、俺は溜め息を吐く。
あの後、どれだけ違うと言ってもまったく相手にされず、それどころか咲良に迫られる始末。
結局、その後に手当てのための道具を俺に渡して、満足そうに去っていった。
そんなよく分からない出来事の後から、何故か出かけると必ず咲良に遭遇するようになった。
偶然にしては出来すぎな遭遇に白い目を向けながらも、流されて遊ぶようになり、いつの間にか友人のような関係に。

でも咲良はずっとあんな調子で俺をからかってくるし、俺は俺で気が気じゃなくて悶々とする日々が続いた。
だから、ある時に限界が来てしまった。

ーーそんなにからかうなら俺が男だって教えてやろうか

そう押し倒しながら告げて、無理矢理口付けた。
殴られても泣かれても仕方ない、男と意識されないほうが嫌だと、自分の欲求をぶつけた結果だったのだが、咲良は殴るでも泣くでもなく、自ら唇を押し付けてきた。

それに驚きながらも深く唇を合わせ続け、咲良が苦しいと俺の胸を叩いたところで唇を離した。
自身の唇を伝う糸を拭いながら、珍しく顔を赤くした咲良が恨みがましい視線で俺を軽く睨む。

ーーこんなにキスが上手いなんて聞いてない

「ざまあみろって思ったんだよな、あの時」

出会った頃の初な反応をする俺を見て、咲良は俺の事を童貞だと舐めてたらしい。
童貞ならからかってもやり返されないと高を括ってたら見事に襲われたよね、と悔しさに少しの照れを隠して不貞腐れてた。

「その後に、告白したんだよな……」

ーーあの時みたいな花じゃなくて、咲良が、お前が好きだ

真っ直ぐに見つめて告げれば、少し目に涙を浮かべて、出会った時に俺が見惚れた向日葵のような笑顔を浮かべてくれた。
そこから付き合うようになって、一緒に時を過ごす内に結婚を意識した。
でも、その話をしようとすると咲良は誤魔化すようにへらりと笑って躱し続けた。
理由を聞いても誤魔化すばかりで、流石に痺れを切らした俺は咲良を逃げられないように壁に押さえつけて話をすることにした。

ーーなにがそんなに怖いんだよ、なにを隠してる?
ーーいつものへらへらした笑いで誤魔化せると思うなよ

そんな風に問い詰めたら流石に観念したのか、ぽつりぽつりと重い口を開いてくれた。

ーー私を、愛してくれる人はいなかったから……
ーー両親に捨てられて、引き取られた先でも扱いは酷かった
ーー私は家族を知らない。愛を知らない。家族になれるかわからない、こわい

それは、咲良が初めて零した自身の弱さ。
今まで見てきたどの咲良よりも小さく見えて、こわいと震えながら涙を流す咲良の唇を奪う。
暫く口付けてから唇を離し、強く抱きしめる。

ーー怖いならそれでいい。愛も家族もこれから知ればいい
ーー俺だって家族になれるかなんて分からない
ーーでも、俺は咲良と家族になりたい

そう言って咲良を見つめれば、あの向日葵のような笑顔を浮かべて頷いてくれた。

「そのまま、ずっとポケットに隠してた結婚指輪をはめてやったっけ……」

驚いた顔の咲良は見物で、そのまま嬉しそうに指輪を眺める姿が眩しかった。
でも、咲良には憧れのシチュエーションがあったらしく、せっかくだから別の日に憧れを再現したいと頼まれた。
そのシチュエーションも女の人なら誰でも憧れるような、在り来りのもの。

ーー夜景の綺麗なレストランで花束をもった相手にプロポーズされたい

目を輝かせながら可愛いおねだりをする咲良を無下にするなんて出来ず、俺の二度目のプロポーズが決まった。

「まさか二度目のプロポーズを頼まれるとは思ってなかったよなぁ……」

普通ならないだろうことを思い出して、懐かしさに思わず笑みが零れる。

「……っと、もう着くな」

咲良との日々に思いを馳せていたら、いつの間にか長い階段を上り終えていたらしい。
目の前が開けて、足元を風が横切っていく。
チクリと胸を刺す感傷を無視して、目的の場所まで歩き慣れた道を進む。

「……そういえば、あの日は大雨だったんだよな」

今日が見事に晴れ渡ってるせいで、咲良との思い出の中でも嫌なことを芋ずる式に思い出してしまう。
夏によくある局地的な大雨ーーゲリラ豪雨が、咲良に二度目のプロポーズをするはずだった日に降っていた。

でも、それは思い出したくなかったもので自然と眉間に皺が寄る。
気分が削がれたと溜め息を吐くが、そんな風に色んなことを考えていても足は進むようで、気がつけば目的の場所に着いていた。
 
顔を上げて、目の前に聳え立つ墓を見つめ話しかける。

「なぁ、お前も覚えてるか? 」

返って来ない返事に墓石に書かれた名前をなぞって、そこに眠る人を確かめた。

ーー『奈(からなし) 咲良』

これからの生を一緒に過ごすはずだった、愛しい人の名前がそこにある。
何度も何度も、ここに来る度に名前をなぞって眠る人が咲良だということを自分に刻み付けてきた。
そうじゃないと受け入れられる気がしなくて、狂ってしまいそうだから。

あの日。
二度目のプロポーズをするはずだった日を最高の日にしたくて、気合を入れて咲良を待っていた。

待ち合わせは19時。
だけど俺は、店の人との打ち合わせや準備のために待ち合わせの時間よりも早く着いていた。
そわそわしながら準備している俺に、店の人が休憩を勧めてくれたから煙草を吸いに行こうとレストランのドアを開けた瞬間。

物凄い音を立てて雷が鳴り、ポツポツと雨が降り出した。
その雨は次第に強さを増していき、遂には目の前すら見えないゲリラ豪雨へと変わった。

こんな雨じゃ咲良と来るのが大変だと思った俺は、咲良の携帯へと電話をかけた。
最悪、待ち合わせ時間よりも遅れていいと伝えるために。

だが、咲良が電話に出ることはなかった。
時計を確認すれば多分駅からこちらに向かう途中くらいの時間帯で、このまま待ってれば来るだろうと空を眺めることにした。

綺麗に晴れていたはずの空はどんよりと澱んで暗い。
さっきがピークだと思っていた雨も勢いを増していて、どこか不安にさせるような天気だった。

そして、遠くに聞こえたサイレンの音が俺の中の不安をより一層と膨らませる。
不安をかき消すために、もう一度咲良の携帯に電話をかけた。

一回、二回、三回とコール音が響き、電話が繋がる。
忍び寄る不安を振り払うように明るい声を出した。

ーー咲良か?雨大丈夫かよ、このままじゃ濡れ鼠に……

けれど、次に聞こえた声と内容に言葉が止まる。
電話の向こうでは静かに、なにかを堪えるような男の声が俺に現実を突きつけてきた。

ーー奈(からなし)隼人さんですか? 今すぐ、病院に来てください。奈 咲良さんが……

その後のことはあまり覚えていない。
ただ、横たわる咲良の体の冷たさと咲良の死因がゲリラ豪雨によって人影に気づけなかった車との交通事故だということをぼんやりと理解した。

そうして、咲良が願った二度目のプロポーズは叶うことなく終わった。

「……まさか、籍を入れてすぐにバツイチになるとは思ってなかった。幸せが急に絶望に変わるんだから、世の中なにが起こるか分からないもんだよな……」

咲良との籍は二度目のプロポーズをすることになった後に入れた。
最初のプロポーズは受けたから、籍は早めに入れちゃおーよと咲良が言ったからだ。
二人で婚姻届にサインをして、記念に写真を撮って笑い合ったのが最期になるなんて思わなかった。

「ほんと、最初から最後までお前に振り回されっぱなしだよ」

そうやって苦笑すれば、どこかで咲良の笑い声が聞こえた気がした。
こんな風に面影を探し続けている内は咲良に振り回されたような気になるんだろう。
それでも忘れることなんて出来なくて、前に進むことも出来ない。

だって、俺はまだ夏空に浮かぶ入道雲に出会った日の二人を重ねていたいから。
いつか痛みも切なさも薄れていいと思える、その日まで。

〈了〉


あとがき

夏をテーマにした切ない恋愛ものを書きたくて出来た作品です。
こういう報われない恋愛ものが大好きなので、個人的にはとても気に入っています。
大切な人を亡くした悲しみと切なさに苦しみながらも、痛みとしてあるうちはそのままでいたいと願う主人公の気持ちに共感していただけたら嬉しいです。
作品への感想やご意見等ありましたら、お気軽にコメントしてください。

ここまでの閲覧ありがとうございました。
それでは次の記事でお会いしましょう。

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