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砂糖菓子と大人の特権 【エッセイ】

クリスマスケーキの上に乗っている、サンタクロースやトナカイの形をした砂糖菓子。
その時期だけの飾りにはキラキラとした特別感がある。特に小さな子どもにとっては憧れで、とても価値のあるものに見えるのではないだろうか。

私は砂糖菓子のサンタクロースを見かけるたびに、毎年ほんの少しだけ苦い気持ちになる。子どもの頃のある出来事を思い出すからだ。

あれは多分、小学校低学年の頃だったと思う。
その年のクリスマスは、近所に住むいとこたちと一緒にケーキを食べた。
いかにも定番の、苺と生クリームの大きな丸いホールケーキ。上にはサンタクロースの砂糖菓子が載っていた。赤い衣装に、口元を覆う白いひげ、つぶらな瞳。
子どもたち五人の中で一番年上だった私は、その砂糖菓子が魅力的な見た目に反してあまり美味しくはないことをもう知っていた。だから食べたいとは思わなかったし、綺麗な飾りとして眺めているだけで満足だった。
けれど、まだ幼い弟たちやいとこたちにとっては違ったのだろう。
それぞれに取り分けられたケーキを食べながら、誰かが「サンタさんほしい!」と口にすると、「ぼくも!」「わたしもー!」と皆次々に声を上げ始めた。
こうなると大変である。サンタは一つしかないのだ。
先手必勝とばかりに、従弟が端に避けて置かれていたサンタを手掴みして口に入れようとする。それを弟が強引に阻止し、手を伸ばして奪い取ろうとする。激しい取り合いを見た従妹が「イヤーー! わたしもほしいのー!」と腕を振り回しながら泣き叫ぶ。
もうめちゃくちゃだ。彼らの大騒ぎを尻目に、私は黙ってケーキを食べていた。

「やめなさい! ほら、貸しなさい!」
大喧嘩になりそうな気配を察した叔母が、従弟の手からサンタをもぎ取る。
それでも騒ぎ続ける子どもたちに「ちょっと待ってなさい」と声をかけ、彼女はキッチンへと向かった。なんとなく嫌な予感がして、まさか……と思った時にはもう、ゴリゴリゴリ、と音がしていた。
叔母は包丁でサンタクロースを切り分けたのだ。
欲しがった子たちの分だけでなく、その場にいる子ども五人分、きっちりと。
得意気な顔で戻ってきた叔母は、それぞれの皿に切り分けた砂糖菓子を入れていった。
私は「いらない!」と拒んだが、「いいから、ほら!」と強引にサンタクロースの左足を皿に載せられた。そのときの衝撃といったら。
食べかけのケーキの上に無造作に載せられた、赤い左足。バラバラのサンタの切れ端。
とにかくショックだった。さっきまでキラキラとしていたものが、見るも無残な欠片になっている。
更に追い打ちをかけるような「なんだこれ。あんまりおいしくない」という従弟の一言。
知ってるよ、そんなこと! だから私はいらないって言ったのに! 楽しい気分が台無しだよ! ……と咄嗟に反論する余裕もなく、私はしょんぼりと俯き、悲しい気持ちで残りのケーキを口へ運んだ。
(ちなみに、私は結局サンタの左足は食べなかった。他の皆も一口だけ齧って残していたと思う)

まあ、今となっては叔母の気持ちも分かる。大喧嘩になるのを防ごうとしたのだろうし、皆に均等に行き渡るように気を配ってくれたのだろう。
けれど、それでも私は、包丁で切り分けられたサンタを食べるよりも、キラキラとした砂糖菓子を憧れの気持ちで見ているだけの方が良かった。

今でもケーキの上にある人型の砂糖菓子を見ると、そのときのことを思い出す。最近は砂糖菓子ではなくプラスチックの飾り人形が載っていることが多くて、なんだかホッとしてしまう。

さて、ここ数年のクリスマスは、別に何か特別なことをするというわけではないものの、私の中では「家族と一緒にケーキとちょっと豪華なご飯を食べる日」になっている。

昨年のクリスマスは、サンタの砂糖菓子が載ったホールケーキ……ではなく、数種類のカットケーキの詰め合わせにした。見た目も鮮やかで色々な味を楽しめて大満足だった。

かつてクリスマスケーキのサンタにショックを受けた子どもは、あれから時を経て、好きなものを好きなだけ、という大人の特権を手に入れたのだ。


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