若あゆと私 【エッセイ】
「若あゆ」という和菓子がある。楕円形に焼き上げたカステラ生地で求肥、あるいは小豆餡を包み半月形に整形し、焼印で目とひれの印をつけた和菓子である。鮎焼き(あゆやき)、あゆ、焼鮎とも言うらしい。
私は、この若あゆが大好きである。
忘れもしない、若あゆとの出会いは高校一年生の春。友人の付き添いで茶道部の見学に行ったときのこと。当時の私は茶道自体にはあまり関心がなく「ずっと正座しないといけないんでしょう。すぐに足が痺れるんだけど大丈夫かな」なんて思っていた。あの頃は抹茶も好んでは飲まなかった。
初めて足を踏み入れた茶室はこじんまりとしていて、校内とはまったく違う佇まいだった。茶道部の先輩方に招き入れられ、畳の匂いのする静かな空間で茶の準備が進んでいく。
確か五、六人の見学者がいたと思う。慣れぬ場所と雰囲気にひどく緊張し、私は正座のまま固まっていた。
母が家で気まぐれに茶を点ててくれた際に教えてくれた抹茶の飲み方を必死に思い出そうとする。けれど、いくら頭を捻っても肝心な部分は何も浮かんでこない。
そんな時、遅れてやって来た顧問の先生が持ってきたのが魚の形を模した和菓子だった。目の前に出された見知らぬ菓子をじっと見つめる。初めてみるものだった。
この中には一体何が入っているのだろう。やはり餡子だろうか。冷や汗が背中を伝う。何を隠そう、私は餡子が苦手で和菓子全般を避けていた。
正座も苦手、抹茶も苦手、餡子も苦手。苦手尽くしのお子様だ。
ああ、どうして付き添いなんかで来ちゃっただろう。今更ながら後悔でいっぱいになる。どうしよう、こんなところで苦手だなんて言い出せない。失礼にも程がある。そうだ、別に食べられないわけではない。やるしかない。
黒文字をぎこちなく動かして生地を切る。中に入っていたのは白い餅のようなものだった。餡子じゃない、と少しホッとしつつ、おそるおそる口に入れる。
……おいしい。
口に広がる程よい甘さと、もちもちとした柔らかい求肥の食感と、それを包み込む優しい生地。なにこれ、美味しい!と一瞬のうちに虜になってしまった。緊張も足の痺れもなんのその、あっという間に菓子の美味しさで心が満たされていく。
そう、私を惹き付けたのは「茶」ではなく茶菓子の方だったのだ。
帰宅後、母親に興奮気味に話し、その菓子が若あゆという名前であることを知った。当時まだ家にはインターネットも引かれておらずパソコンもなかったので、調べ物は人に聞くか図書館などに行き本で調べるしかなかった。
だから、その時に知り得たのは本当に名称だけだった。
母にもっと若あゆが食べたいと話した気もするのだが、それまで食べる機会すらなかった和菓子を日々忙しい母にわざわざ買ってもらえることもなく。
一人暮らしをしていた大学生の頃は和菓子を買うような金銭的余裕がなく、いつの間にか若あゆのことは記憶の中に埋もれていった。
さて、それから十数年間。社会人となった私はふと店頭で若あゆを見かけ、唐突に情熱を取り戻した。スーパーの和菓子コーナーで。もしくは、出先のデパートで。もちろん和菓子屋でも。
若あゆが並べられているのを見かけるとついつい手に取ってしまう。あのときの美味しさと感動をまた味わいたくて、色々な店のものを食べている。
けれど、未だに思い出の味以上に美味しいものには出会えていない。
なんとなく、もう出会えない気もしている。おそらくあれは、あのとき限定の味なのだ。
それでも好きなことには変わりはないのだけれど。
若あゆを口にする度に、ほんの一瞬だけ、かすかに高校生のときの記憶がふっと浮かんで消える。もう今では縁遠くなってしまったけれど、一緒に見学に行った友達のことも。
私は「出会い」も「思い出」も、人に関わること以外にも当てはまる言葉だと思っている。
場所、本、絵、映画、音楽、食べ物。他にもいくらでも。当然、人も。
世の中には様々な出会いがあふれている。
おいしいものが好きだ。新たに思い出として刻まれる出会いを求めて、私は今日も好きなものを食べるのだ。
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