二割読書法を知ったら、アニメやドラマの倍速視聴が時間の無駄だと理解できた話
学校の授業や課題をこなしつつ、簿記や色彩検定の勉強を始めたりしながらも、図書館に行ってついいろんな本を借りてしまう、その借りた本の中に「読む・書く・話す」を一瞬でモノのにする技術」(斎藤孝:著)がありまして、その本で触れている「二割読書法」が興味深かった
二割読書法とは一冊の本の中に自分にとって必要な部分を見つけ出し、そこを重点的に読む、その部分以外は読み飛ばしたりしてもよい、という読書法
全部を読まなくて良い、必要と感じた所以外は飛ばして良い、一部しか読まないから短時間で沢山の本が読める。一見それはドラマやアニメの倍速視聴に似てるように見える、けれど実際は大違いというより、真逆、だからこそ「エンタメの倍速や飛ばし視聴って時間の無駄でしかないわ」と納得ができた
読み飛ばしがOKな本とそうでない本がある
この読み方が有効なのは、主に勉強や論文作成などに知識を得るために読む本やビジネス啓発書など主に情報を伝えるための本であり、本書では著者の人格に触れるような本は適さないと述べられているし、小説やエッセイなども適さないと思う
二割読書法に重要なのは、その本の重要な部分や自分にとって有用な部分を見つけ出す力であり、エンタメの倍速視聴をする人との大きな違いはコレだと思う
ビジネス啓発書を読んでると、一冊を通して「ここが重要だ」「これが伝えたいんだ」ってのが分かりやすく、目次を読むと本の内容がざっくりと分かるものも多く、重要なのはここで、他は説得力や理解のための根拠や具体例などの枝葉だと思う物も多く、こういう読み方は理にかなってるなぁとは思う
けど、アニメやドラマを倍速視聴してる人の意見などを見ると「推しで出ているシーン以外は興味がないので飛ばす」「沈黙や動かない、いわゆる間を取るシーンは無駄だから飛ばす」「エンタメはセリフが命だから、セリフさえ分かればあとは飛ばしても良い」など自分の都合と表面的な興味のある部分だけを観るだけで、制作側が伝えたいことを読み取る意思以前に、物語には伝えたいことがあるという概念が無い
SNSで思ったことをそのまま打ち込んで投稿することをし続けると、相手が伝えたい事があって文章を書いているという事が抜け落ちていきがちで、短文SNSとドラマやアニメの倍速視聴には相互関係がありそうな気はする
作り手の意図を読み取ろうとしなければ、何も得られない
アニメやドラマ、小説などのエンタメで得られるものは沢山ある、けれど作り手の伝えたいことを読み取る意識がなく、興味ありそうな部分だけ観ても何も得られない、だからエンタメの倍速視聴は時間の無駄なんだと私は思う
だって、キャラの容姿だけ見て、それで伝わることってやっぱたかが知れてるし、表面的にいいなと思ったことってすぐ忘れちゃう。キャラの心情や物語に込められたメッセージを読み取ったり、自分の経験や想いと共感させたり、そういうの無いと心や頭にちゃんと入ってこない。表面的にしか見てないものはどうやっても薄っぺらにしかならない
学び、何かを得る、感動し、それを取り込んで自分の糧にするには、その話の意図やメッセージを読み取る事が必要で、それをするという意識が無い、読解力を使おうとしないならば、何を観ても時間の浪費でしかないと思うんです
暗記や情報を沢山得ることよりも大事なこと
色々学び始めて自分が思ったのは、暗記力や情報収集力って意外と重要じゃないという事、大量の情報が飛び交うこの情報社会では、沢山の情報を得るよりも、疲れないように無駄な情報を早い段階から捨てるまたはシャットダウンして触れないようにする。情報を整理してきちんと使えるようにする事こそが重要だと思うのです
そうして学ぶにはネットより本が有効です。本って一冊一つながりになっているから、一冊を通して重要な所がわかりやすい。ネットの情報って断片だから、断片の情報を理解してパズルのように組み合わせていちばん重要な部分を探すなんて相当に難易度が高い事だろうという云うことは想像に難くない
ビジネス啓発書って見出しが分かりやすくとそれに加えて要点をまとめてくれていたり、ぱっと見でも分かりやすくした情報メインの物も多いけど、著者の経験談や学び方をベースに語るような本はクセが強めというか、言いたいことは分かるが、それが出来たら苦労しないわ!って事が前提にあったりする本も結構あるんですよね、そういう合わないなと思ったところはさらさらっと流してます、以後に「やっぱこれ必要かも」と思ったらその時に読んでみたらいいかなとか、柔軟に読んで学んでもいいんだと思いました
現在の情報社会で大量の情報の触れることを避けるのは難しい、だからこそ情報を活用する力が必要で、少しづつでも上手く情報と付き合っていく力を鍛えていきたいです