sanctuary(聖域)
私の心の中には聖域がある。
誰にも侵されたくない、私だけの聖域。
私は自分の性認識が曖昧なタイプだ。
なくてもいいと思っている、極端に言えば。
と、いうより、私に「女性性を持っている」という眼差しを向けられるのが、なんとなく、苦手。
表面的な部分で判断して、あたかも私全部が”女性”であるかのように捉えられるのは、はっきり言えば癪に障ることがある。
女性体であれば、中身も女性である。
というのは、大半のひとの認識なんだろうな。
それはこれまで人間が作り上げた認識で、本当にそうなのかは、また別な話。
男性から私に向けられる性的な目線、それによって"女性化"する自分。逆の場合もある。
そういう遊びももちろん楽しい。
ただ、遊びは遊びでしかない。
長く続く遊びもあるかもしれないが、遅かれ早かれいずれはゲームエンドを迎える。
愛されたいとは思う。
でも"女性"として愛されたい訳ではない。
自立している、対等な人間として、愛されたい。
慈しみと愛と尊敬を持って、接してほしい。
私の心の最深部は、聖域は、もっと神聖で純粋な世界観…
性交渉などない、慈しみと愛だけで構成されている。
私にとっての人間の尊厳のようにも感じる。
私が私であるという、自信の源。
本来の生命力が湧き出る場所。
完璧主義にも似たような、この聖域への入り口を、私は普段から隠しているつもりはない。
ただそれを認識できる人と、認識できない人がいる気がする。
似たような感覚を持っている人は、探そうとしなくても、見つけてくれる。
目が合う、そんなような感覚。
そんな場所を踏み荒らしたり、無理に侵入しようとするような無作法な人や、聖域以外でも、尊敬を持たずに私を扱う人とは、私は関わりたくない。
その人が私をぞんざいに扱うことにどんな背景があろうとも、それはその人のストーリーで、私が登場人物になることは謹んで遠慮したい。
ギリシャ神話の夜の女神ニュクスは、黒い闇のカーテンで世界に夜をもたらす。またニュクスは下記のような神を生んだ。
ほぼ死を意味する同義語とも考えられる、忌まわしいモロス(Moros、死の定業)、死の運命であるケール(Ker)、またタナトス(Thanatos、死)を生んだ。次いでヒュプノス(眠り)とオネイロス(夢)の一族を生み出した。更に、モーモス(momos、非難)とオイジュス(Oizys、苦悩)を生んだとされる[3]。
義における憤りに基づく復讐の女神であるネメシス(Nemesis、義による復讐)や、アパテー(Aphate、欺瞞)、ピロテース(Philotes、愛欲)、ゲーラス(Geras、老年)、そして人間の苦しみの大きな原因とも言える「争い」の女神エリス(Eris、争い)もニュクスの子である[4]。ーWikipediaより
しかしその女神のカーテンの下でも、自らの意思をしっかりと持ってあかりを灯し続けられれば、自分を持ち続けることができる。
私は自らが聖域の門番となり、今日も夜を迎える。