小説のキャラクターと作者である私の関係性
私の頭の中には、本当にたくさんのキャラクターが生きていて、彼らはときに呼びかけたり、私に訴えたりして、その自らの人生を必死に私に伝えようとしてくる。
脳内にキャラクターが棲みついてる、というのは一体どういう感覚なのか。一般の人からすると想像がつきにくいかもしれない。
彼らは、私自身から生まれたものではあるけど、私自身ではない。私と似たような価値観や過去を持ち合わせるキャラクターもいれば、全く違う倫理観や感覚で世の中を見渡している人物もいる。
ちょうど、お腹の中で母親が赤ん坊を育てているという感覚に近いのかもしれない。赤ん坊は、母親の身体の中に命を宿すが、だからといって赤ん坊と母親は全く同じ人間ではない。この世に生まれ、成長すればそれは別の人間。別の角度、別の視点、別の人生を生きる。
彼らは私から産み落とされたが、それはもしかしたら、きっかけに過ぎないのかもしれないとすら、思う。彼らは、もうずっと昔から、実はこの世に存在していて、常に外に出たがっていて、それをたまたま私が見つけて、拾って、生きる場所(私の脳内)を与えてやった。だから私から生まれたように見える彼らは、もしかしたら私から生まれたものではないのかもしれない。
なんて、小難しいことを語ってしまったが。
つい最近、大作を一本書き上げたというのに、まだまだ私の脳内は騒がしい。色々と、彼ら彼女らの感情や人生を書き留めてはいるが、この中のどれが作品になるのかは、分からない。それが楽しみでもあるし、不安でもある。なぜなら、この書き落とした『全て』を、私が小説にできないのを、知っているから。この中のごく一部だけが、小説として日の目を見ることができるのを、知っているから。
ただ、だからといって、このすべてが無駄ではないことも、知っている。また別の形で、ふとした瞬間で、あのとき脳内に過ぎったのあの言葉は、ああこのときのための台詞だったのだな、と、長い時間をかけて伏線回収をするように、昔に思いついた台詞やキャラクターの表情が蘇ることもある。
だから、とにかく全てを大切にしておきたい。彼らの人生は、この世で私しか知らないし、彼らのその全てを、感じることができるのは、私しかいないのだから。
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