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異論は大いに認めます。

私も、4年ほど東京の小劇場界隈に棲み続けた也にいろいろ仕組みがわかってきたような気がします。(気がします。)

まず、小劇場界隈は巨大。あまりにも。
とんでもないくらい俳優がいるし、びっくりするくらい劇団もプロデュース団体も存在してる。

その中でもなんとなくの“括り”みたいなのがあるような気がします。。

例えば、A劇団の公演にはB劇団の所属俳優がよく出る。とか
俳優だけじゃなく、演出助手や制作などのスタッフに双方の劇団員を行き来させてたり。

一番わかりやすいのは、会場に置かれるパンフレット。大体、舞台を見に行くと席にパンフレットが置かれてます。

その舞台に出演してる俳優の次の舞台とか、その舞台に何かしらで関わった人たちの携わった舞台なりイベント(ワークショップとか)なりのパンフレットが置かれていることが多い。

これが正に、括りなるものを視認できる最大の資料だと私は思います。

そして面白いのが、この括りは一貫性もあること。

コメディ多めの劇団は、やはり同じ雰囲気の劇団と同じ括りだし。
アングラ要素の多い劇団は、似たようなジャンルの団体と同じ括りになっていることが多い。

劇団運営に全く詳しくないので下手な事は言えませんが、やはりなかなかに厳しいものなのだと思うんですね。
稼げる商売では無いし、赤字が当たり前の界隈。
そんな中を、劇団同士、仲間同士で支え合ってなんとかこの東京で生き残るために必死に手を取り合ってるんじゃないかな、と。

それにはやはり、似た空気感を感じないと難しいですし、似たジャンルじゃないと手を貸し辛かったりするから、結果的にそうなって行くんじゃないかと思います。。たぶん。

括り、といいますかサイクルといいますか、、

俳優としての話だと、どこかひとつの劇団に出演して、うまくその括りに仲間入りする、サイクルに入っていくと、出演舞台が絶えにくくなる。。と思います。

しかしこれには大欠点がありまして、

そのサイクルの居心地が良くなり、その場に居座ってしまう事です。

最初にも述べたように、小劇場界隈は巨大です。これが商業演劇になったらもっと広い世界があります。なんとなくヒエラルキーみたいになってると思うんです、小劇場はやはりアンダーグラウンドとして認知されているし実際にそうです。

ただ舞台に立ってお芝居がしたい方は、勿論何も言うことありませんが。
お芝居でご飯が食べれるようになりたい方は、その落とし穴にハマってしまうと、抜け出すのに時間がかかります。

自分を必要としてくれる人が沢山いるサイクルの中で、お芝居もできて楽しい仲間もいてお客さんにも見て貰えて、オーディション受けずともオファーがかかる。

そんな幸せなことは無いです。

しかし、それではご飯は食べれないんです。

お芝居をしてない時は、アルバイトやら何やらで稼がないと生活ができない。

私は最初、東京でお芝居をしている人はみんな同じ夢を持ってると思っていました。
しかし、そんなことは無く。
本当に色んな思いがあって、その中で皆さんお芝居をしている。

私も色々経験して、上京した当時と価値観も変わってきてます。
でもまだ諦めつかないんですよね〜〜〜、、

コロナ禍を恨むことはあまりしたくないけど、もしあの3年がなかったらもう少し舞台も出れただろうなあとか、ちょっと思っちゃいます。

本当に周りの方々に私は助けてもらってばっかりで、優しくてあたたかい方々に恵まれてなんとかこうして息をしてます。

どうにかこうにか、私の夢に1歩ずつでも半歩ずつでも近づけるように、まだもがきます。悔しいです。苦しいです。つらいです。

昨日見た舞台のご挨拶に、“あのまま地元にいたらどうなっていたんだろう”という言葉がありました。
“私の記憶に強くあるのはあの田圃の道で、畑で、東京で見るこの景色をたまに夢なんじゃないかと今でも思うんです”

あぁ、、、、くるしい。

深呼吸して、今日も今日とて必死に生きます。

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