哲学的パネルでポン2 -なぜパネポンは難しく感じるのか?-
おはようございます、こんにちは、こんばんは。鈴見です。
仰々しいタイトルにしてしまった上、感覚的な話も多いと思うので、「何となく分かるかも~?」ぐらいに感じて頂ければ幸いです。
偏った見方、マイナス面ばかり見ている、モードごちゃ混ぜ、パネポンのことがかなり分かっている人向けな部分、唐突な自分語りetcがありますので、ご了承ください。
そして、滅茶苦茶長くなってしまった(14000字以上)ので、分けて読むか、ゆっくり読むなどを強くお勧めいたします…。
パネポンの難しさはどこにある?
まず、パネポンって本当に難しいの?というところから話さなければなりません。
パネポンをプレイしている上で、主に感じるのは…
抽象的な項目もあるので少し分かりづらいかも知れませんが、大まかにこんな感じかと思います。
大まかとは言え、そこそこの量があるので、これが特にパネポンを難しくさせている要因だ!というものをピックアップすると…
の4つだと思います。
それぞれの理由を見ていくと…
・色やパネル量が多い
3つ以上揃えて消すだけ!…いやそれが難しいんだってば!となるレベルの色の多さだと思います。
SFC版における初期配牌のパネル数は、パズルやステージクリア以外では30個固定です(他のバージョンは覚えてません…)。
5色で平均を出したら6個です。
6個"も"なのか、6個"しか"なのかは、議論が分かれるところです。
が、もっと厄介なのはせり上がったときと解凍したときです。
せり上がりは、!パネルの追加があるので、5色→6色、6色→7色になります。
!パネルの出現には条件があるとは言え(簡単に言えば、パネルをたくさん消せば出てくる)、来て欲しい色があった場合に、もっと確率が下がってしまいます。
1番重要な点で言えば、見えないところからランダムでたくさんの色がやって来るのは、一応黒くチラッと見えるとは言え、特に初心者には心理的負担が大き過ぎる、というところです。
人や生物は、何かに追いかけられたりすると身の危機を感じると思いますが、何が追いかけてきているのか分からないときは、もっと危機感が強くなると思います。
自分の身を守りながら(死なないように気を配りながら)、何者かに追いかけられ(せり上がりや解凍に追われ)、それと出会ったときには何とかやっつけなければ(パネルを消さなければ)いけません。
余談ですが、黒くチラッと、というのもまたいやらしく、直感的に「怖いもの」と思わせようとしているのではないかと勘繰ってしまいます。
・操作が多い
アクションゲームと謳っているとは言え、その辺のアクションゲームより明らかに多いです。
自分の話をすれば、数時間で筋肉が痛み始めます。
人間がアクションしてんのよ。
後ほど詳しく触れます。
・場面の変化が速い、大きい
自分の場が荒れた状態での、大量の同時消しお邪魔を解凍した場面が想像しやすいかと思います。
これは上級者でもなかなか難しい場面です。
何が難しいかと言えば、段数計算や、段数計算が合ってたとして、その後の展開をある程度予想するのは本当に難しいです。
もっと手軽な例で言えば、盤面下の方で縦3個消しした後で、連鎖する場所を1番下ではなく、中間辺りで横連鎖をする…みたいな場面でしょうか。
用語を出してしまえば、昇竜拳や上り連鎖と言われている類のものです。
段数計算は一見単純そうに見えるし、実際多分単純なのですが、これが意外とできません。
この主な原因は恐らく、人間の視野とゲームスピードが問題です。
自分調べだと、カーソルを中心とした9マスぐらいがプレイヤーの視野角になります。
逆に言えば、それ以外はほとんど見えてません。
なので、視野を広げるために目を動かしたり、首を動かしたりする人もいます。
しかし、これらを動かすのにもスピードの限界があります。
ゲームスピードに追い付かなくなる場面も発生します。
仮に追いついたとしても、パッと段数計算ができない、ということも往々にしてあります。
そして、場面の変化が大きくなればなるほど、計算量もある程度多くなります。
先程、段数計算は単純だと言いましたが、他の要素も複合的に考えると、結果的に難しくなってしまいます。
・大量の場合分けがある
攻撃が1個来るだけでも、パネル1個動かすだけでも、カーソルの場所によっても場合分けがあります。
その時々で最適解は存在するとは思いますが、あらゆるパターンを考えようと思ったときには、恐らく将棋などのレベルでの考察が必要です。
体験談としては、初期の30個の盤面でも小一時間は余裕で語れます。
長々と理由を説明してきましたが、具体例が少ないので、これでも短い方だと思います。
この説明で少しでも「パネポンって多分難しいんだろうな〜」みたいな感覚は持って頂けたのではないかと思います。
でも、こんなタイトルなので、もう少し本質っぽいところを探っていきたい…そういう記事であります。
”難しい”を紐解く
といったところで、では、そもそもなぜ人間は物事に対して"難しい"という感覚を覚えるのでしょうか?
「うっ難しそう…」となるかも知れませんが、なるべく頑張って分かりやすくします。
難しいと思うようなことは世の中にたくさんあるとは思いますが、取り敢えず『難しい』という言葉の意味から模索していきたいと思います。
調べると、難しいとは『複雑』『面倒』『解決するのが困難』などと出てきます。それぞれの意味を調べていくと…
要約すると、こんな感じだと思います。
先程までパネポンが本当に難しいのか?と長々説明してきたものは、まさに"難しい"を体現していた、と言えますね。
ここから、これらを更に感覚的・体験的に掴んでいこうと思います。
この部分だけは、パネポンが分からない・初心者の方でも、何となく分かって頂けるのではないかと思います。
難しいを物体にすると…
難しいを簡潔に表した、ゲーマーに馴染みがあるであろう良い例があります。
それは、絡まったケーブルです。
両端の端子は見えていても、それを辿っていくと訳が分からない…。
グチャグチャに片付けたことを後悔しつつ、でも片付けは面倒なのでまたグチャグチャにしてしまう…。
何ならそれは1本だけではなく、2本も3本も絡まっていたりして、それを解くために貴重なゲーム時間を削ってしまった…みたいな経験はないでしょうか?
私はあります。
長野県の方言で言えば、ずくなし、です。
嫌になってケーブルが絡まったままゲームをしました。
では、なぜ絡まったケーブルが難しいのでしょう?
"難しい"の要因
ケーブルが絡まっている状態を見て、なぜ難しいと感じるかと言えば…
大きな要因としては、この2つだと思います。
そもそもケーブルが絡まった状態がどのように見えているものかと言えば、『細い・細かいものがひと塊になって、大きな1つのものとして見えている』という状態です。
ケーブル自体は1本そこにあるだけなら、長いものだと煩わしいことはありますが、紐として扱う上ではそんなに難しいことは無いはずです。(規格とかそういう話は除く)
ところが、ここに例え話を重ねていくと、111111111111111111111という数字を数えなさいと言われたとすると、「数えるのメンドイ…」となりませんか?
1という数字自体は縦1本で書かれ、意味としても分かりやすい、シンプルなもののはずなのに、たくさん並べられてしまうと、「うわぁ分からん」となってしまいます。
分からん、ということは、少なくともパッと見は『複雑』に見える、ということです。
よく見て、手間や時間をかければ、数えることはできます。
しかし、もし数えることが必要でなければ、111111111111111111111という数字を数えるのは、大抵の人は「大変だな~、数えなくても良いや~」という気持ちになるでしょう。
これが『面倒』という気持ちだと思います。
そして、複雑で面倒なので、総合的に『解決するのが困難』になってしまう、という訳です。
ケーブルの話に戻せば、ケーブルが絡まった状態は一見すると複雑に見えますが、手間や時間をかければ解くことができます。
しかし、ケーブルが絡まった状態でも、ゲームをプレイする上では支障がありません。
(長期的に見て、ケーブルの寿命という意味では、支障がいずれ出てしまうかも知れませんが、それは今は置いておきましょう。)
少なくとも目の前のことで見れば支障が無いのに、一見すると分からないものに、時間をかけてわざわざ乗り越えるのは、ゲームをするという目的においては、生産性が悪過ぎます。
ゲームをする時間が限られていれば、尚更です。
この場合の生産性とは、『ゲームをどれだけ進められるか』『どれだけ経験値などを稼げるか』ということになります。
ケーブルを解くのは、ゲームをする上での生産性には全く絡みません。
つまり、ゲームをする上では生産性が悪い、と言えます。
長々と話をしてきましたが、要するに『費用対効果が悪い』『自分が行動した結果の価値が低い』と感じたりすると、面倒になるのだと思います。
第1の壁
『複雑』『面倒』『困難』についてある程度掴めたところで、パネポンという具体例にしていきたいと思います。
冒頭のものを、【複雑】【面倒】【困難】に分けていくと…
ざっと、こんな感じだと思います。
ここで、先程のグチャグチャのケーブルの例を持ってきて、パネポンとケーブルの対比をしてみましょう。
こんな感じかなと思います。
何となく抽象的になりましたね。
ここで改めて重要になるのが、『細い・細かいものがひと塊になって、大きな1つのものとして見えている』ということです。
パネポンとケーブルを対比して見たのですが、実は1つ1つは極端に難しいことをやっている、という訳ではありません。(フレーム要求は除く)
それは、111111111111111111111の例で話した通りです。
時間をかければ、あるいは自分の経験をある程度積めば、比較的易しい行為ばかりです。
ですが、比較的易しい行為であっても、たくさん集まったら、どうでしょうか?
111111111111111111111のようなものを10個同時に数えなければならなかったら…それはもう大変です。
これは、大量の同時並行・同時進行、マルチタスクです。
初めてパネポンを見る人であれば、色々なことをしているプレイ内容に対して、恐らくギョッとしてしまうでしょう。
そして、実際にやってみても「俺の知ってるパネポンじゃない」という感想を抱くでしょう。
パッと見で非常に難しく見えてしまう、やってみても思ったように動かすのが難しいということは、その時点でプレイヤーをふるいにかけることになります。
物事は、ハードルが低ければ低いほど参入しやすいものです。
ですが、低いハードルでも、これがたくさんあった場合には、話が変わってきます。
それは、ハードルを上に積み上げられても、ドミノのようにたくさん並べられても、大変さの質は違えど、どちらも乗り越えていくのが大変です。
『初心者のうちから大量の問題を提示される』ということが、パネポンにおける第1の壁です。
アクションパズルゲームなのに…
費用対効果という言葉を少し前に出したので、これについて深掘りしていきたいと思います。
パネポンは、費用対効果という目線で言えば、良いところがあまり無いゲームだと思います。
費用対効果は、操作対変化とか、消費パネル数対攻撃量とも言い換えて良いかも知れません。
消費パネル数対攻撃量で言えば、例えば連鎖ではない3個消しは何回しても、0個の0段分のお邪魔ブロックになるので、費用対効果は最悪・最低です。
しかし、4個消しは1回すれば、それは1個の1段分のお邪魔ブロックという攻撃になります。
3個消しは3:0、4個消しは4:1と言えそうです。
消すパネルを1個増やすだけで相手に対する力となるので、3個消しに対して4個消しは、費用対効果が良い・高いと言えるでしょう。
操作対変化で言えば、かけ声の有無や、連鎖ならばファンファーレの有無・豪華さの違いが言えそうです。
ただ、ここで問題になるのが、パネポンの操作の多さです。
ここでは、ボタン操作を想像しています。
ボタン操作には、単発押しと長押しの2種類あると思います。
具体的に見ると…
と見ることができると思います。
これらは費用対効果で言えば、長押しは高く、単発押しは低い、と言えると思います。
なぜこんな話をしているかと言えば、実はパネポンは、Bダッシュのようなボタンを長押しする場面がほとんどありません。
せり上げ、一気に特定の場所までカーソルを移動させたい、というときだけです。(個人差はあるかも)
後はほぼ全てポンポンと、単発での操作になります。
つまり、コマンドを駆使するゲームと言えそうです。
なので、実質格ゲーとも言われるのも当然の帰結かも知れません。
そして、格ゲーと音ゲーは似てるとも言われるので、パネポンは格ゲーであり音ゲーでもある、ということになります。
アクションパズル格闘音ボードゲームです。(将棋という話題も少し出したので)
少し話が逸れましたが、この操作は特に上手い人だと流れるように操作してしまいます。
なので、単発感を感じさせてくれないのですが、やっていることは単発を正確に連続してやっているだけです。
じこはおこるさ
では、なぜこのパネポンの操作量が問題なのかと言えば、『やることなすこと全ての費用対効果が低い』のです。
繰り返しになりますが、パネポンは長押しする場面がほとんど無い、つまり費用対効果が低い行動ばかりです。
そして、先程は「4個消しは3個消しに対して費用対効果が高い」と言いましたが、これは正しいですが、正しくないです。
と言うのは、『その4個消しが簡単にできるかどうか』『効果に見合った操作量なのか』というところを考えていないからです。
簡単にできる・操作量が少ないならば、正しいです。
簡単にできない・操作量が多いならば、正しくないです。
操作に慣れてしまうと忘れがちなのですが、その場での入れ替え移動を除き、パネルをどこかに動かすために、左手操作→右手操作→左手操作→…をかなり繰り返します。
当然、ここに動かしたい!と思う場所が遠ければ遠いほど、その繰り返しの量は多くなります。
この繰り返しの動作で言えば、歩行があります。
歩くために、左足操作→右足操作→左足操作→…ということを、一般的な二足歩行生物は自然にやっていますが、赤ちゃんのときには相当苦労したはずです。
しかし、恐らく大抵の二足歩行生物は、大人になるとそれほど苦労せず、それも無意識に、足を交互に出すという繰り返しの動作を行うことができるはずです。
しかし、それでも徒歩で遠い目的地に向かおうとしたときには、道が複雑にもなり、労力も増え、非常に大変=面倒です。
複雑で大変なので、徒歩で言えば、大人でも道に迷ったり、足がもつれたり、転んだりなどのミスが発生します。
もしそこで怪我でもしてしまえば、この徒歩は徒労に終わり、「トホホ…」と嘆きながら帰ることになるかも知れません。
これが徒歩に慣れていなければ、尚のことです。
そこで公共交通機関などがあれば、楽ですよね。
公共交通機関が、ボタン操作の長押しに該当します。
乗って待ってさえいれば、ボタンを押して入力方向さえ決めてしまえば、その効果が継続します。
でも、パネポンには公共交通機関がほとんど存在しません。
なので、徒歩で遠い目的地(消したいパネルなど)へと向かいます。
しかし、操作ミスや勘違いをしてしまい、間違って消したりなどをしてしまえば、「トホホ…」です。
これが起きてしまっても、生産性が悪い、費用対効果が低い、つまり面倒に感じてしまう、と言えます。
単発押しは悪い!ということばかりを言っている気がしますが、良いところもあります。
それは『調整が不要』というところです。
長押しは、例えば0.0から10.0の範囲で効果量を定められますが、3にしたい!と思ったときには、4や2.8になってしまったりなど、なかなか3ピッタリ合わせることができません。
ストップウォッチで3秒ピッタリに止めるような感覚です。
対して、単発押しは0か1しか選択できませんが、3を目指したければ、1を3回押せばピッタリ3になります。
カウンターで3回押せば3になるような感覚です。
これは手数は確かにかかりますが、確実性は圧倒的に上です。
しかし、逆に言えば手数をかける、つまり、やはり面倒な過程を経なければなりません。
余談ですが、パネポン上手い人たちが「パネポンは慣れです」と言うのは、「繰り返しに慣れてください」というところが1番大きな意図だと思います。
まず歩くことがままならなければ、どうしても特定のモードはクリアができないからです。
ついでに言えば、パネポン上手い人たちは徒歩の進化系をやっていると考えれば、競歩をしているようなものかも知れません。
走るんじゃないの?と思われるかも知れませんが、走るのは地に足がついていない(物理)のイメージがあるので、もう少し落ち着いたイメージで言えば競歩になるかな、と思ったためです。
(競歩は、ルールとして左右どちらかの足が地面についていなければなりません。)
手数と余裕
手数をかけ続けるパネポンは、言ってしまえば、10の費用に対して1の効果しか得られないゲームだと思います。
これは相対的・限定的な話ではあるのですが、スマブラなどであれば、Aボタン1回に対してnのダメージが入ったりと、1回の行動(費用)に対して1以上の効果が出たりします。
相手に近付いてパンチするならば、左ボタンを押し続けてAボタン…と2回の行動に対し、ダメージも考慮するなら2以上の効果が出ます。
しかし、パネポンの場合は、特に初期盤面においては、4個のパネルを消したいとき、かなりの手数をかける場合がほとんどです。
それにもかかわらず、相手に振らせることのできるお邪魔パネルは、4個消しであれば1段しかありません。
スマブラなどで、AボタンだけでHP90に対して10のダメージを与えられるとします。
パネポンは総段数が12段しか無く、実践では相手の場は大体9段ぐらいの空きしかありません。
空きをHPとするならば、HP9に対して1のダメージを与えるのは非常に大きい、とも考えられます。
そして、ゲームの仕様上、攻撃を回避することや、ガードをしてダメージを軽減をすることはできません。
つまり、純粋に1以上のダメージを与えることは可能、という見方もできます。
しかし、ダメージを与えたいからと言って、相手に重い連鎖攻撃を送ってしまうほど、自分と相手に余裕を与えることになります。
なので、重い攻撃=段数−揺れの計算を考慮しなければなりません。
そして、重い攻撃を撃つのに比例して、操作量は増えます。
操作量が増えた結果、相手に余裕を与えてしまう…と、ある1つの視点からは言えてしまいます。
計算式を正しく直せば、重い攻撃=段数-揺れ-手数になるかと思います。
因みに、揺れに関しては、ゲーム内での説明には無かったと思います。(うろ覚え)
ここからは実践例で見ていきたいと思います。
お邪魔パネルの特性の記事について見て頂ければと思うのですが、例えば8個消しと12個消しとでは、降るのはどちらも2段のお邪魔パネルです。
4つもパネル数の差があるのに、一見すると攻撃力は全く変わっていません。
それどころか、実は8個消しの方が攻撃力は上と言えます。
それは、お邪魔パネルの列数(横の長さ)による揺れ時間の差と、4個消しも撃てるためです。
SFC版だと、8→4と連続で消してしまうと、段数が2になってしまいますが、分けて撃てば段数が3になります。
そして、この手順で撃てば、4個消しというパネポンの中で最も猶予を与えない攻撃が最後に落ちてきます。
揺れ時間(猶予)が少ないほど、攻撃力が高い、と見ています。
もし、分けて撃てる状況があったとしたら…?
その4つを別の目的に使えるとしたら…?
8個と12個を比べたとき、どちらが効果的と言えるでしょうか?
究極的なところは結局ケースバイケースですが、一般的には恐らく8個消しとなると思います。
組む難易度で言っても、自分で組み上げる場合においては8個と4個で分ける方が、一般的には圧倒的に簡単だと思います。
解凍パネルを利用するなど、自分で組み上げない場合は12個は比較的簡単です。
ゲーム性と一般性から見るパネポンの難しさ
費用対効果という話からの繋がりで、もう1つ話をしたいと思います。
見出しから推察された方もいるかも知れません。
ゲームディレクターである桜井政博さんが出演されている『桜井政博のゲーム作るには』というチャンネルがYouTubeにあります。
そして、『リスクとリターン【ゲーム性】』という動画がアップされています。
この中で、
『リスクを冒してリターンを得るのが"ゲーム性"と"かけひき"の本質である』
『ゲーム性とは、リスクを抑えてリターンを得る楽しさ』
と仰られていました。
動画の最後の方に一般性についても語らていました。
一般性については、特に具体的に言及されていなかったと思うのですが、一般性は恐らく簡単に言えば、"ハードルの高さ"だと思います。
ハードルが低くシンプルならば、簡単なことから始められてクリアも簡単にできる。
但し、ゲームとしては大して面白くはありません、といったことだと思います。
ここから、自分なりに式にして見ていくと…
だと思います。(ちょっと自信無い)
パネポンが4つの分類のうちのどこに属するかと言えば、最終的には"リスク高×リターン高=ゲーム性高×一般性低"だと思います。
じゃぁ最初は?と言えば、"リスク高×リターン低=ゲーム性低×一般性低"です。
パネポンにおいて、具体的にリスク⇔リターンで言えば…
…などでしょうか。
本当に色々なことが考えられるので、表現を少し曖昧にしています。
リスクとリターンで言えば、ハイリスク・ローリターンの場合が少なくありません。
そして、パネポンは基本的にリスクに追われています。
例えば…
といった感じです。
基礎動作が常にリスクと隣り合わせです。
とは言っても、これは恐らくゲーム全般がそうだと思います。
そうでなければ、それは恐らくゲームとは言えないでしょう。
ですが、パネポンに関しては少し違う部分があります。
それは、『リスク0から始められない』という点です。
パズルゲームのビックタイトルである"ぷよぷよ""テトリス"は、0から積み上げていくタイプのゲームです。
しかし、パネポンは最初から半分近く埋まっています。
誰がやっても、なぜかハンデらしきものが課せられています。
相対的ではありますが、基礎が最初からリスキーな状態になっています。
またまた余談ですが、せり上がりに関しては、常にリスクに追われているから、入れ替えによって少しせり上がりを抑えられる仕様になったのではないか、と勝手に推測しています。
手数に対してリターンが少な過ぎるので、バランスを取るためではないかと思います。
第2の壁
桜井さんお言葉をお借りするならば、リスクを抑えてリターンを得るとは、費用を抑えて効果を得る、と言い換えられると思います。
費用と効果は、操作と変化、消費パネル数と攻撃量、と置き換えても良い…。
つまり、操作を抑えて変化を得る、消費パネル数を抑えて攻撃量を得る…ということですね。
初心者のうちは、パネルを動かすのが精一杯、3個消しも精一杯、ましてや4個消しなんてとんでもない…となると、リスク(手数や行為)に対してリターンがとても少ないです。
マリオで言えば、クリボーを倒すor避ければ(やられるリスク)、先に進められる権利(リターン)を得られます。
これをパネポンで言えば、3個消し以上をすれば、先に進められる権利を得られます。
これは、ステージクリアで1番恩恵が大きいところです。
しかし、この恩恵が非常に小さいモードもあります。
それは、CPU戦やおじゃま対戦です。
恐らくこれらは、パネポンで比較的多くの人が親しむモードだと思います。
パネポンでは、マリオで言えば2、3手で超えられるようなクリボーを、10手ぐらい要する場合も出てきます。
それなのに、たくさんの手数をかけても、3個消しでは「敵を倒すことに対して1歩前進した」と言うには、少し苦しい部分があります。
自分の攻撃チャンスを得るための時間を得た、相手の自滅を待つ、という点においては、確かに1歩前進はしたでしょう。
3個消しは、自分の盤面には影響を与えるものですが、相手の盤面には影響を与えることはできません。
3個消しがやっとだから、3個消ししかできない。
3個消ししかできないから、相手を簡単に倒すことができない。
それでは、いずれはつまらなくなってしまうでしょう。
勿論、つまらなくなるのを回避するために、人は他の手段を考えます。
4個消しや2連鎖、4個消しを含んだ2連鎖などが、偶然できることがあります。
「あっ、このゲームはこういうこともできるのか!」と、プレイにスパイスが入れられることでしょう。
現代では、動画などで誰かのプレイを見て学ぶこともできます。
現代でなくても、割ときっちりとしたチュートリアルをゲーム内で見ることもできます。
しかし、大抵の人はこう思うでしょう。
「やり方は何となく分かったけど、実践に落とし込めない……。」
これがなぜかと言えば、GC版を除いては、参考にしているものと同じ盤面は、ほぼ現れることが無いからです。
(GC版は、自分でパズルを作ることができます。)
パネポンに限らず、何事も上手くなりたいと思ったときには、誰かや何かを参考にし、それを真似ることが多いかと思います。
少なくとも、それをやろうと思ったきっかけが、誰かや何かだったりすると思います。
「あの人はこうやっていたはず…」「チュートリアルではこうしていたはず…」という、残像らしきものや理想らしきものが頭にあると思います。
しかし、その残像や理想を頼りに実践するのは、とても難しいことです。
大抵の場合は上手くいきません。
そこで、改めて参考にしたものを見ると「何が悪いのか?」と、よく分からなくなったりしてしまいます。
「これは都合が良いようにできてるだけなんだ」「自分じゃこれはできない、分かんない、もう良いや」と、飽きてしまいます。
余談でも言いましたが、パネポンは特に繰り返しを行うゲームです。
人間の性質上、繰り返しの作業には飽きてしまうものです。
つまり、飽き×飽き=やめてしまう、という構図が生まれてしまいます。
しかし、物事が上手くなるためには、繰り返しの作業は必要です。
パネポンは、「最初のうちは、リスク高×リターン低=ゲーム性低×一般性低である」と言いましたが、ここにもゲーム性の低さと一般性の低さが見て取れると思います。
つまり、『最初のうちは面白くないと感じやすい』ということが、パネポンにおける第2の壁です。
いつ面白いと感じられるの?
再び『ゲーム性とは、リスクを抑えてリターンを得る楽しさ』というお言葉をお借りして考えたとき、リスクを抑えてリターンを得るということを、一体何人のパネポンプレイヤーが自信を持って「達成している」と言うことができるでしょうか?
自分もパネポンチョットデキルとは思ってはいますが、自信を持って達成している、とはチョット言えません。
私の肩書きだけで言えば、SFCのVSCOMRTAは大体世界2位とか、大会で30人中3位というものは持っています。
もしかしたら、「それは単純に自信を持っていなさ過ぎでは?」と思われるかも知れませんが、達成してないから多分2位とか3位なのだと思います。
何が言いたいかと言えば、ゲーム性を得られるまでには、とても時間がかかる、ということです。
プレイ時間で言えば、恐らく万時間はやっているはずなのに、それでも到底満足には及びません。
これは一般的に言われてるような満足の質とは少し違うとは思いますが、ある一側面から見て、一般性が低いと言えるでしょう。
簡単に満足を得られないゲームなど、普通は好まれません。
じゃぁ誰が好むのか?と言えば、地道・地味な作業が好きな人だと思います。(一個人の意見です)
一気に大きな快感を得るのではなく、地道に積み上げていったものが結果として大きな快感になる…パネポンはそういうゲームだと思います。
実質、筋トレと同じです。
つまり、上手いパネラーはマッチョ、ということです。
因みに、一般性が高い、つまり簡単かつちょっと難しくて満足を得られるゲームモードは存在します。
それは、『パズルモード』と『じょうたつへのみち』です。
パズルモードは、まさにチュートリアル的で、最初はシステムが分からなくとも、段々と分かってくるような仕組みや内容になっています。
また、分からなかったものが「分かった!」と思うようなものは、人間の快感に繋がります。
いわゆる、アハ体験です。
じょうたつへのみちについては、あまりピンとこないかも知れません。
体験談を話すと、私は昔からじょうたつへのみちを見るのがとても好きです。
それは、「綺麗だな~~~!!!」って思っているからです。
感覚的に言えば、シャボン玉を見てるような感じです。
最後には壊れて消えてしまうものですが、それまではフワフワ、キラキラしています。
それは、大きく1個飛んでいるものでも、細かいものがたくさん飛んでいるものでも、何だか魅力的です。
それは最後には消えてしまう…でも、消えるからこそ、次の新鮮で綺麗なものを見ることができます。
そんな諸行無常を、子供ながらに感じていたのでしょう。
シャボン玉は、遠目に見る分には嫌いな人はあまりいないと思います。
そして、息を吹き込むだけで簡単に作られるものです。
シャボン玉が魅力的だとすれば、魅力的なものを簡単に作れる・見ることができるということは、手軽に満足を得られるということです。
つまり、じょうたつへのみちも一般性が高い、と言えます。
この2つのモードを好きになれば、元々パネポンのことが好きであっても無くても、恐らくパネポンが面白いと感じられるようになるでしょう。
更に因みに、SFCパネポンと比較して、ゲーム性を上げて一般性を下げたと同時に、一般性を上げてゲーム性を下げたパネポンが存在します。
それは、パネルでポンDSです。
パネルでポンDSのどの点がゲーム性を上げているかと言えば、アイテムパネルです。
逆に、一般性を上げたのは、タッチ操作です。
これがファンにあまり受け入れられなかった理由は…これだけで記事1本書けそうなので、機会があれば…。
まとめ
第1の壁に『最初のうちは面白くないと感じやすい』
第2の壁に『初心者のうちから大量の問題を提示される』
ということを挙げました。
つまり、併せて"難しい"という言葉の中身になります。
パネポンが難しいのはなぜかを理解するのは、とても難しかったかと思います。
非常に長~~~~~~~~~く説明してきました。
これでも考えと説明が足りていませんが、難しいの大枠は何となく掴んで頂けた…と思い込んでおきます。
本当にお疲れ様でした&読んでくださってありがとうございます。
拙い文章だったとは思いますが、ほんの少しでも難しいという絡まった紐を解くための一助になったなら幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?