拒食症だった私へ
彼氏に「デブ」と言われたことがきっかけで、過度なダイエットにのめりこんだ大学 2年の夏。私は拒食症という心の病にかかっていた。死ぬほど食べたいのに太るのが怖くて食べられない。一日の食事は拳より小さな鳥のささみ肉と少しの野菜だけ。体重計の 100グラム増えた減ったに一喜一憂する毎日。食べたい、食べちゃいけない、その思考で覆い尽くされ、食べ物のこと以外何も考えられなくなってしまった。
街では知らない人から痩せすぎと振り返られる。気味悪がられていたのだろうが、私は嬉しかった。彼の元カノはすらりとした人で、彼女と比較しては痩せないと好いてもらえないと思っていた。そうでないと自分に価値が無いと信じ込んでいたのだ。そんな昔の自分をバカだと同時にかわいそうだったと思う。ただのダイエット願望ではなかったからだ。今思えば、幼少期から根を張ってきた「自分には生きている価値が無い」という歪んだ認識が拒食の原因だった。 19歳の私は病に甘えることで生きていられた。自分のアイデンティティを体重なんかに置くことでしか生を認められなかったのだ。
そんな日々を変えてくれたのは、同じ芸専の友人たちだった。校内で会えば皆大丈夫?と話かけてくれた。すずめちゃんそんな風に痩せちゃだめと泣きながらパンと栄養ドリンクを差し入れしてくれた子。ご飯つくるから食べにおいでよと家に招いてくれた子。体芸食堂のおばちゃんもスープだけでも飲んでみたらと勧めてくれた。こんなに心配してくれる人たちがいるんだという驚きと人の優しさが、心配されるような自分ではいけない、私は私を治したいと決心させてくれたのだ。
少しずつ食べられる量が増え、卒業の頃には体型も生活も普通に戻すことが出来た。再発の多い病だが繰り返さずに済んでいるのは、自分を健康にできるのは自分だけだと気付けたからだろう。病院で強制的にチューブを繋がれない限りは、口にものを入れて飲み込んで、細胞に栄養を送れるのは自分ただ一人だけ。自分の体に責任を取れるのは自分だけなのだ。
10年経った今、私は画家として活動している。拒食症の体験を元に描いた「拒食と自爆」という自画像は、ヨウジヤマモトの服に採用され国内外で多くの人に知られた。この絵から勇気をもらった、自分も生きて行きたい、と感想を頂いたことがある。自分が衝撃を受けた本物の経験は、目をそらさずに見つめ真心から伝えれば、誰かの心を動かすのだ。今、そのことが私の生きる希望になっている。私はあの頃よりずっと幸せだ。
人生は自分の選択次第で楽しくなる。だから何か心の病があるのなら、治すと決めてほしい。心の底から治したいと思える出来事に出会ってほしい。そして、周りにそんな子がいたら声をかけてほしい。心配したり支えてくれる人たちのお陰で私はここまで来ることができた。感謝の思いを胸に、今度は私が返す立場になっていけるよう生きて行きたい。
死ぬほど食べたいのに太ることが怖くて食べられない。ならば小腸を食いちぎって栄養を吸収できない肉体にしよう。私があの頃死んでいたら、そんな幽霊になっていたはずだ。
「拒食と自爆」
2014年 紙、鉛筆、木炭
Yohji Yamamoto 2020 Spring & Summer collection
筑波大学新聞 卒業生からの手紙 2019.10.1
私は作品を通じて「生きながら生まれ変われる」ことを証明したいのです。そのためには「命のありか」と「心のありか」を解き明かさなければなりません。2020年は自分の子宮の音を録音する予定。いつか子宮コンサートを開きたい。頂いたサポートはそれらの研究費用とさせて頂きます!