備忘録-さまぁ~ずが好き-
今日は、私の推し中の推しである「さまぁ~ず」について書こうと思う。
認識したのはいつ頃だったのだろうか。
でも、彼らは出てきて割とすぐに売れたというか、露出は多かった方だと思う。まだ当時のコンビ名は「バカルディ」である。
1989年デビュー、のはず。
お笑い番組を見るのは好きで、幼少期は「8時だよ!全員集合」があったけど、あんまり見せてもらった覚えがなくて、「カトちゃんケンちゃん」になったころは「オレたちひょうきん族」派でした。
あとは欽ちゃんの番組が多かったのかな。「欽ドン」「欽どこ」か。でも多分、夜9時の番組はガッツリは見れてないはず。
「カックラキン大放送‼」よく見てたな。刑事ゴロンボとかナオコおばあちゃんとか。ラビット関根も。井上順とマチャアキが面白い人だと把握したのはこの番組。かくし芸もそうだけど。
「ドキド欽ちゃんスピリッツ!!」は覚えてるな。最終回泣いたもんね。おめで隊って3人組がいて、真ん中のあっちゃんが好きでね。のちにあっちゃんじゃない二人は忍者とCHA-CHAになるんだけど。山口祥行も出てて、最近になってVシネでよく見る山口祥行が同一人物だって気付いて、しばらく信じられなかったな。
「欽きらリン530!」からの「ビギニング!!チャチャ」「CHA-CHAワールド」をよく見てたので、お笑いコンビというとパワーズ(堀部圭亮他)とか。JA-JAってのもいたけど、あれはなんだ、モデル?
いや、ちょっと待って。私、CHA-CHA結構好きだったんだな(笑)。確かに西尾拓美推しでしたわ。
基本的には、コントとアイドルで育ってきた気がする。
他にも昼は「笑っていいとも」を見てたし、日曜は増刊号からの「スーパーJOCKEY」とかなんかもうテレビばっかり見てたなって思う。各曜日でローテーションが決まっていたというか、この番組が終わったら次はこっちのチャンネルに変えて、このCMの間にはNHKをちょっと見て、とか。チャンネル回しに無駄がない、みたいな。
「風雲たけし城」とか「元気が出るテレビ」とか、古くは伊東四朗や小松政男も覚えてるから、昔は本当にテレビが元気でしたね。お金もあったんでしょうが。
それで、とんねるずやらダウンタウンやらウッチャンナンチャンやら出てきてのB21スペシャルやダチョウ倶楽部、ABブラザーズも売れてて、ホンジャマカ、爆笑問題、バカルディ、テンション・・・その後ボキャブラで爆笑問題が復活しいの、吉本印天然素材とかでナインティナインやらが出てくるまでの、ボキャブラ世代を含むこの間の世代よね。第三世代後期という部分。
夕方の日テレで、短いお笑い番組があって、そこでの「テンション(田口浩正と芋洗坂係長)」のネタがわりと強めに記憶に残っている。
これを頼りに検索すると、1991年から1992年放送の“笑売繁盛!”という番組がヒットした。笑点が始まる前にやっていたとあるので、夕方という記憶的にも合っていると思う。
そのあとホンジャマカ・デンジャラス・バカルディの3組をメインにした「ショージに目あり!」という番組に変わったとあるので、間違いない。
そのころ、1990年から始まったTBSラジオ「東京レディオクラブ」にドはまりしていた私は、初期の頃、メインパーソナリティーである岸谷五朗の顔は知らなかったが、この番組にレギュラーとして出ていたホンジャマカ恵の顔はよく知っていた。別に恵のファンではなかったが。
ああそうか、これは米米クラブきっかけで聴き始めたんだ。米米クラブの10分天国という短い番組(コーナー?)を聴くためにレディクラ沼にずぶずぶと足を踏み入れていったのでした。で、レディクラのあとの時間だったのかな、ちはるとバカルディのスーパーギャング、パックインミュージック21、ラヂオザウルスと聴き続けることになるのでした。ここでコサキンとも出会うんですが。
ホンジャマカとバカルディで次世代を担う的な「大石恵三」という冠番組もしっかり見てました。菊池桃子もレギュラーで、レディクラ内でよく恵が桃ちゃんとどーのこーのとネタにされていたはず。まあ、周知のとおり、短命だった番組ですけど。
それから、ホンジャマカ・デンジャラス・ビシバシステム・バカルディをメインにやってた「赤坂お笑いオールスターライブ」も録画して繰り返し繰り返し見てました。若手として出てきたU‐turn(土田晃之他)やジュンカッツ(名倉潤他)、アンジャッシュ、ピーピングトムなどのネタを覚えてる。バカルディのネタも多分この番組で見て知ってるネタが多いんじゃないかな。家庭教師のやつとか名作。
なんだろ、単純に面白かったんだよね。東京のお笑いっていうところなのかな、雰囲気も含めて。三村さんや爆笑問題の田中さんによる東京のツッコミっていうのが、なんかしっくり来たんだと思う。
ダウンタウンの関西色、ウッチャンナンチャンはシティ派と呼ばれつつ実は九州と四国の兄ちゃんだし、B21はかっこいいけどなんかまた違くて、とんねるずはもっと大人でバブリー過ぎちゃってたし。
で、話が前後しますが、レディクラきっかけで始まった「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ~」というイベント。
1993年12月でした。ミュージシャンたちが出る方ではなく、「バラエティ」という括りで代々木第一体育館で行われた方に私は参加しました。メンツは、岸谷五朗、仲井戸麗市、BAKUFU-SLUMP、BLUE BOY、三上博史W/D.S.Q、TOSHI、To Be Continued、宇都宮隆、木根尚登、小室哲哉、trf、萩原聖人、バカルディ、ホンジャマカ、葛城哲哉、久保こーじ。
私は、ここで初めて生のバカルディに会ったのです。
「大竹さーん」と叫んだのを今でもはっきり覚えています。
ライブ初参戦は、1997年銀座博品館劇場の「バカルディライヴX 〜サラダで白飯くえねーよ!」のはず。そのあと「なまたまごかけご飯」も見た気がするけど、ちょっと記憶が怪しい。
2000年のさまぁ~ずに改名するまで、彼らの不遇の時代が続くのですが、全然ブランクに感じてないんですよね、私は。ヤマダ電機もあったし、ヤリリンクリリンもあって、ちょこちょこどこかに呼ばれていたし、なんだかんだ露出はあった気がしている。三村さんが表立って頑張っていた時代ですね。大竹さんは恋愛で週刊誌ネタになったりしてたかな?
と同時に、私も年ごろになってテレビから少し離れた時期でもある。夜遊びに忙しかった時代。
そして、「さまぁ~ず」にスポットライトが当たりだして、“怪しい××”とかのレギュラー番組も増えて、私も2001年に結婚をして落ち着いたせいか、さまぁ~ずの主戦場だった深夜番組を追えるようになって。“内村プロデュース”が追い風になったりして。さらにはラジオの復活もあったりして。“リンカーン”もありましたね。
さまぁ~ずライブ、ほとんど行きました。
内Pでの音楽ユニット、NO PLANも中野サンプラザ行きました。
映画や舞台も観てます!
途中、大竹さんの結婚にはだいぶショックを受けましたが、ずっと変わらず、面白いです。
で、何が好きかっていうと、「さまぁ~ずさまぁ~ず」に代表される二人だけのトークや雰囲気、仲の良さが至高なんだけれども。ウッチャンを交えての三人の空気も好きです。
若い頃は大竹さんのカッコよさがあまりわからなかったんだけど、30代なのかな、内Pあたりで結構運動神経良い感じ(バスケ最高でした)とか、学ランが似合う感じとか、まあ三村さんも含めて結構オシャレなとことか、異常にセクシーが前面に出てきた時期があって(これはバナナマン設楽とかサンド富澤、アンタ柴田にも言える)、キャー♡ってなっちゃったのよね。
でも、三村さんがいてこその大竹さんでもあるので、どっちが好きというより、二人でワンセットというか、ニコイチってやつなんですよ。
三村さんはかわいい。彼のツッコミの中でも「かぁいい」「かわいいな」みたいな発言がよくあるんだけど、それを言う三村さんが一番かわいいの。
「リンカーン」の中で、渡辺直美ちゃんに路上でキスされるシーンがあったんだけど、めっちゃ受け身で、されるがままな感じで、それがピカイチでかわいかったです。
ま、とにもかくにも、さまぁ~ずは「仲良し」っていうのが、一番の好きな理由ですかね。
ふかわをかわいがっているところも好き。