『この世にたやすい仕事はない』津村記久子
エッセーっぽいタイトルだが、小説である。
津村記久子の小説の中に流れるこの心地よさは一体何なのだろう。読んでいてなんだか妙にホッとしてしまう。考えてみたが、それはたぶん主人公の「モブさ」にあるのだと思う。哀しい過去も抱えていなければ、大恋愛をしている訳でもない。何にもない、ただの普通の一般人。辻村深月の描く主人公たちと比べると、なんとまぁ淡々とした日常を暮らしているモブ主人公であろうか。でもそこがいいのだ。普通に暮らしていて、ドラマの主人公になることなんてそうそうないし、なくていい。BGMにレットイットビーなんてかからない、それが私たちモブの人生。でもだからこそ、小説に落とし込まれると、妙にリアルでおもしろく感じてしまう。
職を失った主人公が、いくつかの仕事を転々とする。微妙にありそうでなさそうな仕事たち。一見すると地味な仕事だが、その中で、ほんの少しだけ不思議なことが起きて、終いには少しだけ心が温かくなる。この不思議さと温かさの匙加減が、また絶妙で心地よい。
私はこの本を大学病院に入院している時に読んだ。予定日が過ぎても子どもが生まれなかったので、陣痛が来る前に事前に入院した時に読んだのだ。変に非日常の空間にいたせいか、この本の中にある日常がものすごく恋しくなってしまった。あぁ、私がいつも使っている路線バスのあの道の事かもしれない、などと読みながら、早く平凡な日常に戻りたいとずっと思っていた。孤独な入院生活がとても楽しいものになった思い出の1冊である。
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