yosumi birthday live 2022に寄せて
彼女は少し前に、神秘性について語っていた。
今の彼女が自身に欠けていると意識するもの、求めていたもの。
普段の配信で見せるユーモアや明るい声色、「オタク」らしい一面に、度々口にする弱音。
秘めることが得意でないというよりは、自身の内面の一端を曝け出すことの価値を理解していると言う方が正しい気がする。
初めて彼女の声を耳にした日のことを思い出す。
浮世離れした、ずっと遠い世界で仄かに響いているような歌声。
暗がりをキラキラと照らす輝きに、触れれば幻と消えてしまいそうなその儚さに、心の底から惹かれていた。
彼女の世界を覗いてみたい、この先を聴いてみたいと思った。
初めて配信を見た日はどうだったろうか。
軽快な雑談と笑い声。配信者向きだなんて勝手に思っていた。
正直言って鋭く尖った音楽とは遥かかけ離れた印象だったけれど、その独特な声質は変わらず、音として心地良過ぎるくらいで。テンポの良さもあり、ずっと聴いていたいと思わずにはいられなかった。
歌から始まりVtuber、配信者としての彼女も好きになって。初めはそれが良くないことのような気がしていた。
彼女が世に送り出す作品は単体で素敵なものばかりなのに、Vtuber “yosumi” を好きだからという動機でそれらを愛してしまうのが怖かった。
その「好き」自体が間違いだとは当時も今も考えていない。それでも作品や聴き手に真摯に向かっている彼女の姿を見せつけられる度に、不安は膨らんでいった。
その懸念は現実になっていたのだと今なら分かる。過去半年ほどの間、彼女がどれだけ質の悪い作品を並べていたとしても、私は無条件に飛びついていただろうから。その感情はもはや彼女の音楽とは別のところにあって、受け入れ難い、気味の悪い見た目をしていたに違いない。
けれど。
2022年9月14日。
秋葉原エンタスにて「yosumi birthday live 2022」が開催された。
あたかも普段の配信のようなトークパート。ゆるくて、けれど退屈になんてならなかった。とりとめのない話題の中に、見て見ぬ振りができないくらいの熱が弾ける。
エハラミオリが誰かと誰かの「青春」を詰め込んだ、飛び跳ねたくなるくらいアツいセトリと、DJ WILDPARTYがあの夜、あの場所の彼女に捧げた最高にチルい時間と。
その両方が続く彼女の30分への期待を膨らませ、情性はより深く激しくなっていった。
幕が上がる。
with nightは、あまりに優しい声色だった。
何処かの路地。月あかりに照らされて一人踊る姿は歌と重なり、ひと目で私たちを魅了し、瞬く間に会場を彼女の世界に塗り替える。
この曲を同日の夜明け前に聴いたときには、蜃気楼のように揺めく影を夢想していた。けれど、ああ、確かにそこにいたのだ。
彼女があの場所に降り立ったのではない。私たちが、あの日あの場所でだけ、彼女の世界に足を踏み入れることを許されたのだと思った。
ひどく眩しいその表情に目を瞑ってしまいそうになりながら、記憶に焼き付けていく。
2曲目は、窓辺のモノローグ。煙草の煙と、青い夜の光。彼女という存在をそのまま写し取ったような曲。
イベント出演時にも歌われることが多い印象だけれど、ああやって座って聴いたのはどうしたって初めてだと思う。ずるいくらいに好きなところと思い出が沢山詰まっていて、いつもより落ち着いていたからだろうか、気づけばそれを一つずつなぞっていた。
間を空けずfor goodが続き、イントロを耳にした瞬間初めて聴いたときのあの衝撃が蘇る。ドラムスに自然にノせられ、バスが体の芯に心地よく響いて。生で、これだけ近くでこの曲を浴びられることに感謝しながら、この世で一番短い4分間を過ごした。
声にピタリとつき従うように歌詞が背に浮かび上がり、色彩豊かな演出はMVを想起させる。「奈落でさよならをしよう」。 Tシャツの胸にも刻まれたその言葉は、新たにどんな意味を持つことになるだろうか。
ライブパートは止まることなく、淡々と進んでゆく。余計なものをそぎ落とした、より深い夜の世界へ。
swimでは音に合わせ波紋のモーションが幾度となく浮かび、消える。可憐な曲調とシンプルで柔らかい演出が歌詞の切なさを一層際立たせた。そして静かに、眠りに落ちるように、水底へと辿り着く。
次曲パトリオットノイズが公開されたのはちょうど1年前のこと。それまでなかった終始ダークな曲調に、yosumiの可能性の大きさを垣間見ていた。
彼女の肢体を焦がしてしまうほどの激しい炎に、血の色に染まった月。前曲との温度差は言うまでもない。1音目が重く鈍く突き刺さり、否応なしにその熱の前へと引き摺り出される。
思えばこの曲を生で聞きたくて、あの日初めてクラブへ足を運んだのだ。瞳を閉じて歌う彼女と、火傷しそうな時間の終わりに、目の前が滲んでいた。
新曲。そのタイトルは、「揺らいで」。
数多の蛍光灯と街灯の白く無機質でありながら、どこか神々しい光。この世の何処かに存在すると思われたあの路地は彼女の、彼女のための世界としての本性を剥き出しにした。
その存在が強調され、濃度を増していく。縦横無尽なカメラワークは頭からつま先までその魅力を逃さない。
ここまでゆっくりと進んでいた時間が、追われるようにその歩みを速めていくように感じた。過去の彼女が持たなかったこの真っ直ぐな音楽は、今の彼女が届ける最高の作品として会場の空気をひと呑みにして、その可能性を、世界を押し拡げていった。
これを"yosumi"が歌うことには、きっと大きな意味がある。それが彼女のこれからをどう変えていくのか、私は少し大げさなくらいに期待してしまう。
最後にはseekが、このライブの幕を引いた。これも彼女をそのまま音楽にしたような作品だけれど、窓辺のモノローグよりずっと厳しく、その輪郭をシャープに描き出す。
あの空間に溶けて一つになってしまいそうだった心を、自らの歌声で丁寧に、名残惜しそうに掬い上げていくようで。高音域も限りなく優しく、けれど最後の一息まで緊張の糸を強く張ったまま。
もっと聴きたい。そんな声を上げる前に彼女の方から終わりを告げられてしまったから、渇き切った喉を震わせるので精一杯だった。
けれどあの『またね』を別れの言葉だと受け取る人間は、あの場に1人だっていない。
また次の場所で、さらに楽しい時間を。素敵な作品を。必定、そんな約束に聞こえていた。
彼女を知ったのは2年ほど前だけれど、まともに追い始めたのは昨年10月末のこと。それからこの日まで一年にも満たない。
それでも、確かに一年近く経っていて。一年もあって今の今までどうして気がつけなかったのだろう。
私は彼女を応援したいわけじゃない。ましてや見守りたいわけでも、導きたいわけでも、近づきたいわけでも、触れたいわけでもない。
ただこの続きを見たい。聴きたい。彼女が手掛ける次の作品を、新しい世界を。
だって、彼女は期待を裏切らない。彼女は妥協しない。押し付けられるどんな感情も軽く飛び越えるような、予想だにしないクオリティを弾き出す。
それがどれほど彼女の心身を削って生み出されるものなのか知る由もないけれど、それでも私には求めることしかできない。
いつだって、今回だって彼女はそうだったのだから、もっと先の景色を望むことをやめられない。
やめたくない。
彼女は神秘性を差し出した。
漠然とした期待は信頼に、信頼はより大きな期待に。
膨れ上がったそれを踏み越えて、もっと高い場所へ。
そうしてきっと彼女は、"yosumi"にとってより意味深いものを得たのだと思った。