大蛇
西暦2021年。「えちご舞台」には、お年寄りが多くいらっしゃる。入館料大人1000円、学生800円のこの建物は、コロナの影響もあって、経営が厳しくなって来ており、冬には閉館することも噂されていた。
しかし、2020年12月28日、83歳だったここの館長である古俣辰夫氏が病死した。そのため現在この建物の管理を任されているのは辰夫の息子、和夫氏である。和夫氏は、辰夫氏の死をきっかけに脱サラし、急遽東京から帰ってきた。
和夫氏の経営は少し風変わりで、インターネットを使った宣伝を幅広く行った。今まで興味関心を示さなかった若者をターゲットに、漫画やアニメにあやかったキャンペーンを実施した。これが当たり、3月を迎えよう今、かつて無かった若い賑わいを見せている。
「えちご舞台」とは、大正から戦前まで使われた、いわゆる見世物小屋の1種である。まともな働き口の無い者が次々とえちご舞台に集まって、芸を披露した。
1937年昭和13年
よってらっしゃいみてらっしゃい
笑い転げること間違いなし
さあさあお代は見た後で
お客は連日満席だ
急いで入った入った〜
ここの1番のうりは蛇女だった。まだ成人前の女もいたそうで、わざとはだけた着物で舞台に出て、生きた蛇と接吻するのが見せ場であった。えちご舞台での芸を生業に生きていた者は皆短命であったが、最も長く活躍したのが、蛇女「小雪」であった。19歳という若さと、その美しい顔立ち故か、小雪目当てで来ていた客も多かったそうな。
あたしが今持ってるこいつはね
この小屋で1番大きなやつなのよ
名前かい?
まだ無いのさ つけておくれ
彼女の美しさは現在でも通用するほどであったそうだ。旧館長辰夫氏はこう語った。「小雪の写真は1枚残ってたが。小雪のふぁんであった客の誰かが撮ったんろう。戦争が終わって、役所のやからが見世物の資料を全部持っていきやがった。おかげで残ってないんだが、それはそれはべっぴんさんらったよ。当時高価だった写真機を彼女に使ったその客にお礼が言いてわ。」
戦後、この舞台は学校として使われ、辰夫氏も生徒としてここを利用していた。ちょっとした博物館のように、大正から続く建物として学校の教科書や黒板が飾られている。
代替わりを機に、現館長和夫氏が県庁に資料の返却を訴えた。和夫氏は漫画やアニメにより見世物小屋の関心が高まっているとみた。苦労の末現在では、特設コーナーに、「見世物小屋とえちご舞台」という資料が展示されることとなった。
そこには小雪の写真も飾られるらしい。
私はその日を何年待ったことか。えちご舞台の清掃人として働いて40年。おそらく先祖であろう小雪の顔を、生きているうちに見られるようになろうとは。永らく期待をした甲斐があった。
2021年3月7日。その日は朝4時から展示ブースの清掃をした。親から聞いた「小雪」の名前を探し求め、見世物小屋の資料を見漁った。私はついに、貴方様にお目にかかります。
よってらっしゃいみてらっしゃい
蛇女小雪が出てくるよ
世にも恐ろしい毒蛇を
いとも簡単に操るその技を!
瞬きしていては勿体ない
さあさあみなさまご覧あれ!
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