
モヤモヤのしどころ:中小企業が「課題」というのは理解してるんだけど…
週末に「孝太郎の酢」を買いに行ってきました。
<妻のお気に入り:孝太郎の酢>?
もともとは「妻のお気に入り」なんですけど、その料理をいただいている僕も、こういうお店は好きになっちゃいます。
是非とも多くの人に愛され続けて、永く良い商品を送り出して欲しいなぁ、と。
…なんですが、「モヤモヤ」も。
それはここら辺から。
<読書録「国運の分岐点」>
孝太郎造酢。
詳しくは知りませんが、まあ「中小企業」ですよね、ここは。
「河道屋」あたりもそうかも。
<京都で蕎麦:晦庵 河道屋>
これ以外にも1店舗か2店舗でやってる味のある飲食店やお店っていっぱいありますからね。
金沢もそうだったし、東京でも大阪でも、(故郷の)松山でも。
「こういう店が大事なんだ。だから中小企業を大切に…」
…とは思わないんですよ。
やっぱりそれじゃあ、アトキンソンさんが言うように、日本という国は衰退していくだろうし、人々も貧しくなっていくでしょう。
そして貧しくなってしまうと、こういうお店を支えていく人も少なくなってしまう…。(「めちゃたか」じゃないにしても、どうしても「お高め」になっちゃいますから、こういうとこはw)
ここら辺の線引きは重要で、そういう丁寧なフォローを政策や行政に反映させていくことが重要なんだと思います。
その中では、残念ながら「退場」していただく企業や店舗も出てきてします。
それは「市場原理」に負けたのではなく、「支えられるだけの愛情を集めることができなかった」ということなのではないか、と。
少なくともそう納得できるだけの制度や補助であるべきと思います。
(ど〜考えても既得権益維持でしかなく、持続性が全然ない(端的には後継者が現れない)企業や業界を延命措置してるだけの制度なんかもありますから)
あとは「やりたくないけど、やらなきゃいけない仕事」をどうやって維持していくか、かな。
例えば「原子力発電」、とくに「廃炉作業」。
「関電」を批判するのは当然だと思いますが、その流れでここらへんのことが回らなくなっちゃうのが恐ろしいなぁと思ってます。
それで「すべては闇に」ってのが最悪ではありますがね。(オープンにする中で、資金をそこに集めることが必要でしょう)
もちろん、人口が減少する中で、「何を残していくのか」ってのは、結構きつい話ではあります。
「それが日本の文化」
って何でもかんでも言って支えていくことはできなくなってるし、企業や店舗サイドの自助努力は、やはり必要不可欠でしょう。
そして
「好きなものにはちゃんと対価を払う」
「必要な仕事には敬意を払い、コスト負担(税金含む)を厭わない」
ということでしょう。個人としては。
なんで、また機会を見つけて、そういうお店にブラリとお邪魔したいと思ってます。
…「遊び」の言い訳かしらん?w
(僕が好きなお店の大半は、へんな補助やら何やらがなくても、しっかりやっていけるお店が多いと信じてるんですけどね!)