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ChatGPTサーチのハルシネーションはどの程度あるか?
僕はChatGPT 3.5くらいからChatGPTを使ってますけど、そのハルシネーションがどれぐらいあるかっていうのは結構村上春樹の小説のあらすじを書いてもらってそれで判断しているところがありました。
初期の頃のChatGPTはここら辺がうまくいかなくて、まぁそれはそれで独創的な楽しい物語を作ってくれてるって感じもあったんですがw、最近のChatGPTサーチはほぼほぼハルシネーションを感じさせないレベル感になっています。
<1973年のピンボール>
村上春樹の『1973年のピンボール』は、「僕」と「鼠(ねずみ)」という二人の主人公の物語が並行して描かれています。
「僕」は翻訳事務所を営みながら、名前のない双子の女性と同居しています。ある日、大学時代に夢中になっていたピンボールマシン「スペースシップ」を思い出し、再びそのマシンを探し求める旅に出ます。最終的に倉庫で「スペースシップ」を見つけ出し、過去の自分と向き合う時間を過ごします。
一方、「鼠」は地方都市で日々の虚しさを感じながら、「J’s Bar」に通い、バーテンダーのジェイや新たに出会った女性との交流を通じて、自分の孤独と向き合います。やがて、街を離れる決意を固め、新たな旅立ちを迎えます。
この作品は、過去の喪失感や自己の空虚さに向き合う二人の姿を通じて、静かな時間の流れや心の機微を繊細に描いています。
<羊をめぐる冒険>
『羊をめぐる冒険』は、村上春樹の初期三部作「鼠三部作」の完結編として1982年に発表された長編小説です。物語は、主人公である「僕」が、友人「鼠」から送られてきた一枚の羊の写真をきっかけに、謎めいた羊を探す旅に出るというものです。
「僕」は東京で広告代理店を営んでいますが、ある日、謎の組織からその写真に写る星形の斑紋を持つ羊を探すよう強要されます。この要求を受け入れざるを得なくなった「僕」は、美しい耳を持つガールフレンドと共に北海道へ向かい、羊の手がかりを追い求めます。
旅の途中、「僕」は「鼠」の足跡を辿り、彼がかつて滞在していた場所や人々と接触します。最終的に、辺境の地にある「鼠」の別荘にたどり着き、そこで「羊男」と名乗る謎の存在と出会います。この出会いを通じて、「僕」は「鼠」が既に自殺していたこと、そして「鼠」が探し求めていた羊の正体に迫ります。
物語は、個人のアイデンティティの探求や、現実と非現実の境界をテーマに描かれており、村上春樹独特の幻想的な世界観が展開されています。
<ねじまき鳥クロニクル>
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』は、現実と幻想が交錯する壮大な物語です。
主人公の岡田亨(おかだ とおる)は、法律事務所を辞め、妻の久美子(くみこ)と猫と共に平穏な日々を送っていました。しかし、ある日、猫が突然失踪し、その後、久美子も姿を消してしまいます。
亨は妻を探す中で、近所に住む高校生の笠原メイや、霊的な能力を持つ加納マルタとその妹クレタなど、個性的な人物たちと出会います。彼らとの交流を通じて、亨は自身の内面や過去、そして久美子の家族である綿谷家に潜む闇に向き合うことになります。
物語の中盤、亨は自宅の庭にある古い井戸の底に降り、深い瞑想状態に入ります。そこで彼は異世界への扉を開き、現実と夢幻の境界を超える体験をします。この過程で、久美子の兄であり、政治家として権力を握る綿谷昇(ワタヤ ノボル)の陰謀や、久美子の失踪の真相に迫っていきます。
最終的に、亨は異世界での戦いを経て、久美子を支配する闇から解放し、彼女を取り戻すことを決意します。この物語は、個人の内面の探求と、現実世界の権力や暴力との対峙を描いた、深遠なテーマを持つ作品です。
<騎士団長殺し>
村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』は、全2部構成で、現実と非現実が交錯する物語です。
主人公の「私」は36歳の肖像画家で、妻の「柚(ゆず)」から突然離婚を切り出され、放浪の末、友人である雨田政彦(あまだ まさひこ)の父で高名な日本画家・雨田具彦(あまだ ともひこ)の山中のアトリエに身を寄せます。そこで、未発表の日本画『騎士団長殺し』を発見します。 
アトリエの裏手にある祠(ほこら)から鈴の音が響き、その後、「騎士団長」と名乗る小柄な人物が現れます。彼は「イデア」の具現化であり、主人公は彼との対話を通じて、自身の内面や過去と向き合うことになります。 
一方、谷を隔てた向かいの豪邸に住む謎めいた白髪の男性、免色渉(めんしき わたる)から肖像画の制作を依頼されます。免色は、近隣に住む13歳の少女、秋川まりえ(あきかわ まりえ)が自分の娘ではないかと疑っており、彼女の肖像画も描くよう主人公に依頼します。 
物語が進むにつれ、まりえが失踪し、主人公は彼女を探すため、アトリエ裏の石室から異世界へと足を踏み入れます。そこで「顔のない男」と対峙し、さまざまな試練を経て、現実世界に戻り、まりえを無事に救出します。 
最終的に、主人公は自身の内面の闇と向き合い、芸術家としての新たな道を歩み始めます。また、妻の柚とも和解し、再び共に生活を始めます。 
この作品は、個人のアイデンティティの探求や、現実と非現実の境界をテーマに、村上春樹独特の幻想的な世界観が展開されています。 
<世界の終わりとハードボイルドワンダーランド>
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、現実世界「ハードボイルド・ワンダーランド」と幻想的な「世界の終り」という二つの物語が交互に展開される長編小説です。
ハードボイルド・ワンダーランド
主人公の「私」は、情報を暗号化する「計算士」として活動しています。ある日、謎めいた老博士から特殊な暗号処理「シャフリング」の依頼を受けます。しかし、その仕事をきっかけに、「私」は地下に潜む存在「やみくろ」や、敵対組織「工場(ファクトリー)」との対立に巻き込まれていきます。さらに、博士の孫娘や図書館のリファレンス係の女性など、個性的な人物たちとの出会いを通じて、物語は複雑に展開していきます。
世界の終り
一方、「世界の終り」では、「僕」が高い壁に囲まれた謎めいた街に到着します。この街では、人々は「影」を持たず、感情も失っています。「僕」は「影」を引き剥がされ、「夢読み」として一角獣の頭骨から古い夢を読み解く仕事を任されます。街の図書館で働く少女や、「影」との交流を通じて、「僕」は街の秘密や自分自身の存在について深く探求していきます。
これら二つの物語は、一見独立しているように見えますが、進行するにつれて深く関連し合い、最終的には主人公の内面世界と現実世界の交錯を描き出します。この作品は、人間の意識の深層やアイデンティティの探求をテーマに、村上春樹独特の幻想的な世界観が展開されています。
<街とその不確かな壁>
村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』は、現実世界と幻想的な「壁に囲まれた街」を舞台に、自己探求と愛の喪失をテーマに描かれた作品です。
第一部
17歳の「僕」は、16歳の少女「きみ」と出会い、深い絆を築きます。「僕」は「きみ」に、高い壁に囲まれた謎めいた街の物語を語ります。しかし、ある日「きみ」は突然姿を消し、「僕」は深い喪失感を抱えます。
第二部
時は流れ、40代となった「私」は、福島県の山間部にあるZ町の図書館の館長として働いています。彼は「イエロー・サブマリンの少年」と呼ばれるサヴァン症候群の青年と出会い、彼から「壁に囲まれた街」の話を聞きます。この出会いを通じて、「私」は自身の過去と向き合い始めます。
第三部
「私」は、現実世界と「壁に囲まれた街」の境界を越え、自己の内面と対峙します。そこで、「きみ」との再会や、「影」との統合を経て、自己の全体性を取り戻す旅を続けます。
この作品は、村上春樹が1980年に発表した中編小説『街と、その不確かな壁』を基に、約40年の時を経て再構築されたものです。現実と幻想が交錯する独特の世界観を通じて、愛、喪失、自己探求といった普遍的なテーマが深く掘り下げられています。
どうですかね?
間違ってるところもあるような気がするけど、初期のChatGPTの吐き出しものに比べれば、相当に精度が高くなっています。
何ならこっちの方が正しい物語じゃないかと、自分の記憶を疑うくらいw。
生成AIが真価を発揮するのは、検索じゃなくて、もっと価値創造的なところとか人間のサポートをするところだとは思ってるんですが、入り口として検索の部分っていうのはかなり重要なことであるとも考えています。
それが、ChatGPTサーチでこのレベル感になってきたことで、僕にとって生成AIは実用レベルに達したと感じられるようになってます。
まぁ、日常での検索は、ほとんどChatGPT Searchの音声入力を最初にやる感じになってますね。
回答を一発見てそれで終わるんじゃなくて、そこからいろいろ確認をするためにサラ問をしたり、相談したりしている感じです。
質問の検索ワードを絞り、込まなくても雑に尋ねてみたら補足して答えてくれるので、Googleよりも入り口が本当に楽です。
こんな感じ?
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163939702/picture_pc_c4a1c561b901f38c120a8623b76c1a69.png?width=1200)
本当便利になりました。
これからどうなるんですかね
まぁエージェント機能が入ってくるのは間違いないでしょうから、そこら辺からどんどんどんどん社会に生成AIが実装されていくようになるんでしょう。
僕個人はワクワクするんですけど、それが気持ち悪いと思う人もいるんでしょう。
そういうところに格差や分断が出てくる…てな感じになっちゃうのかな?
生成AIは原理上ハルシネーションが避けられないので、検索結果とか回答が精緻になってるとはいっても、そこにハルシネーションがある可能性はゼロではありません。
それを見いだすだけのリテラシーが必要だって言うことですから、実際には扱う側のレベル感って結構問われるところがあるというのがあります。(池谷裕二さんも指摘されてたけど)
この構図の中に既に格差や分断が組み込まれていると言う見方もできなくはないですかね。
なかなか難しいな。
#ChatGPTサーチ
#生成AI