だから、わたしは世界を走るの
今年は終盤の12月にかけて、人に知ってもらう機会を多々いただきました。ありがたい限りです。
せっかくなので、頂いた機会に便乗して結構重めのnoteを書いてみることにしました。目を通してもらえると幸いです。
1.そもそもどうして海外マラソンジャンキーになったのか
そもそも根っからの文化部出身のわたしがなぜマラソンを始めたのかは、前回のnoteをお読みください。からだを張った写真と共に説明しています。
今回はそのあとの話をつらつらとしていきたく存じます。
ホノルルマラソンを終え、ロサンゼルスマラソンに急遽出場することになったわたし。前回の学びとして、『人は走った距離の2倍は走れる』と謳う本だったかWebページだったかを目にして、ランニングで走る距離を10kmくらいまで伸ばしてみたりしました。
ただそのときは海外レースも英語も根っからの初心者だったわたしは、スタート地点にバスで向かうものの交通規制により道を阻まれ、涙目になりつつ呼んだUberでスタート地点にスタート時刻と同時に到着するぐだぐだっぷりを披露していました。それでもホノルルマラソンの経験値ゆえか、スタート地点で自撮りするくらいの余裕はあったみたいです。
そんなこんなでスタートしたロサンゼルスマラソン。まるで田舎から上京してきた女子大生の如く、ドジャーススタジアムやらハイウェイやらチャイナタウンやらに目を輝かせて走る齢21のわたしです。ホノルルマラソンをぶっつけ本番で完走した安心感から余裕が生まれたようで、前回よりも周りの景色や人に目を向けることができました。(ホノルルマラソンのときは完走することに必死で、スタート地点で相武紗季が手を振っていたことしか覚えていないのです。)
そこでわたしがびっくりしたのは、まるでマリファナでも吸ったのかと疑うようなテンションでランナーを応援するアメリカ人の姿。これには衝撃を覚えました。おそらくチャリティー団体のロゴがプリントされた旗を振る集団、出場している友人の顔を1mくらいにプリントし貼り付けたダンボールを思い切り揺らす学生たち。よくわからないけど上裸で叫びまくるおじさん。
カルチャーショックでした。
もちろん言葉が違うのはあるだろうけど、日本のマラソンではせいぜい「頑張れー!」と叫ぶくらいの観客しか目撃したことがありません。上裸ってお前。しかもノンアルコールじゃん。(カルフォルニア州は公共の場所での飲酒は原則禁止)
そしてEDMをガンガンにかけるDJ。このDJブースが数キロの感覚で現れるのもびっくりでした。ULTRA JAPANもびっくりのDJブース数。当時クラブやらEDM系のフェスやらに足繁く通っていたわたしとしては、最高にテンション上がるスポットでした。
つまり、最高に楽しかったんです。
テレビの中のはずだった景色を走ってる事実も、見ず知らずのわたしにも”YOU’RE AWESOME”やら”BRILLIANT!”やら「最高にお前いけてんぜ!」みたいな叫び声をかけてくれる人も、ガンガンにぶちかましてくれる系の音楽も、最高に刺激的でテンションブチあげでした。
わたしの中のマラソンのイメージが180度、いやもはや、天変地異レベルで変わった瞬間です。
それまでのマラソンのイメージって、24時間テレビのマラソンのイメージが色濃くて。全く手をつけていなかった夏休みの宿題と格闘しながら、タレントが辛さで泣きながらゴールに転がりこむレースを目にして、小学生ながらに「うっわ、これなら夏休みの宿題の方が良きだ…」と震えた記憶があります。
そんな笑えないほどに辛みの象徴だったマラソンが、ULTRA JAPANの最終日大トリのメインステージくらいにイメチェンしてしまったのです。これはもう天変地異どころじゃない、もはや世界を救うレベル。だってこんな華麗なる転身みたことないもん。
楽しいことはとことん追い求める系のギャルだった当時のわたしは、このパリピ系イベントにもっと参加しようと闘志を燃やしまくります。
そこから大学を卒業して一旦大手精密機械メーカーに就職するも「若いうちしかレースたくさん出場できなくね?うち会社やめるわ!」とノリで退職、約4年間で26カ国32レースに出場しました。
2.世界のレースで心に刺さったこと
①「ボランティアの人たちが頑張っているから僕らは走れるんだ、だから僕らには楽しんで走る義務がある」
イスタンブールマラソンに出場したときに、18歳の少年の口から溢れでた言葉です。
これ、すごくないですか?彼、18歳なんですよ。18歳の口からこの言葉を発させるとは、イスタンブールのスポーツ教育の賜物かもしれません。
さてはて、海外のレースに出場する数が増えれば増えるほど、日本のレースとのギャップを感じるようになっていたわたしなのですが、この言葉がそのクレバスほどに深いギャップの真髄にあるものなのかもしれません。
日本ではレースに出場したことのない日本人のわたしですが、実はマラソンのボランティアに参加させてもらったことがあります。
そのときにびっくりしたのは、ランナーさまたち。そう、ランナーさまなのです。わたしはスタート前に預け荷物をドロップオフするポイントのスタッフだったのですが、なかなかに重い荷物を無言で投げつけられるように渡されたのは結構衝撃でした。
それにスタートタイムが10分でも遅れようものならたくさんのクレームが入る事実にもびっくり。ランナーの集うネット掲示板を目を通してみると、たしかに罵詈雑言の大騒ぎみたいなレースもありました。
好タイムを叩き出したい!今日のためにずっと努力をしてきた!という想いが溢れるほどあるのかもしれません。それくらい競技に真剣な姿勢はとても素敵なことです。
でも、レースはあなたのためだけにある訳でない、そしてボランティアや運営しているスタッフはあなたと同じ人間なのです。そしてボランティアや運営の人が頑張っているから、あなたは走れているのです。
レースのことで頭がいっぱいで他を考える余裕がないのかもしれません、恋愛みたいですね。それでも同じ人間に対する感謝の気持ちまでをストンとなくしてしまって走るレースって、果たして楽しいんでしょうか。
「ボランティアの人たちが頑張っているから僕らは走れるんだ、だから僕らには楽しんで走る義務がある」
わたしが異国で走れることも当たり前のようで、当たり前じゃない。ガツンと一発ハートに注入された言葉でした。
②「わたしは世界の恵まれない子供たちと常に共にある。」
イギリスの超ド級美人のお姉さんランナーがナイススマイルと共にくれた言葉です。
彼女の腕には”Run For Children”の文字が彫ってありました。話を聞くと、彼女は恵まれない子供のためのチャリティー団体を支援しているようで、その刺青を腕に彫ったんだとか。
「わたしが走って、みんなが笑顔になる。わたしが走ることで、恵まれない子供たちにも元気を与えられる。わたしの好きなことで、世界がもっと良くなるのよ。」
もう最高にシェアハピ理論です、ありがとうございます。さすがチャリティー大国イギリスです。
6大マラソンの一つ、ロンドンマラソンはチャリティー枠が参加枠のほぼを占め、そのチャリティーの最低額は数十万円から。そんなロンドンマラソンは1日のイベントで集める寄付金の世界記録をずっと更新し続けています。イギリスのチャリティー文化はきっと長い長い年月を経て、このお姉さんのようなシェアハピ理論を根付かせていったのでしょう。
このシェアハピ理論、最高にクールじゃないですか。
わたしが走ることで、世界の恵まれない人に少しでも元気を与えられる。わたしもハッピー、相手もハッピー、みんなハッピー。これが広がれば世界がもっと良くなる気がします。
パーフェクトお姉さんの言葉でチャリティーやドネーションに興味が湧き、使わなくなったシューズを異国にドネーションしたり、チャリティー団体にいくばくかのお金を寄付してロゴをつけて走ったりする経験ができました。わたしも世界にシェアハピできて幸せみが深みです。
③「君がこの国で走ってくれてとっても嬉しいよ。」
実はこれ、僭越ながら何カ国でも言われております。少なくともルワンダとアルゼンチン、ジンバブエでは確実に伝えられました。
ルワンダで仲良くなってノエルさん、わたしをキガリ空港からレース開催地のルワマガナまで送り届けてくれたナイスガイ。車の運転をしながらいろんなことを教えてくれました。ルワンダは1994年に大虐殺があってぼろぼろになったこと、いまでも地面を掘れば人骨が現れること、それでももっと良くなろうと頑張っているところだと。
「この国は日本に比べたら何もない、だけど君が日本からこの国に走りにきてくれた事実がとても嬉しい。それが僕らに勇気をくれる。ありがとう。」
結構目頭を熱くしてくれました。わたしが好きで世界を走ってることが、勇気を与えているなんて、本当に嬉しい。嬉しい以外の言葉がみつからない。英語で感謝の意を伝えました。英語は日本語より上手いかもしれないとアメリカ人にお墨付きもらっているので、伝わっていると嬉しい。
アルゼンチンのサルトグランデで出迎えてくれたマラソン運営のスタッフやランナー。個人情報の扱いがざる過ぎて日本人がこの街に!と軽くニュースになっていたようです。国賓みたいだな。
「これでサルトグランデマラソンもインターナショナルだぜ!わざわざ日本から来てくれて本当にありがとう!」
何枚も一緒に写真を撮ろうと頼まれて、まさかの地元のローカルテレビにも出演させていただくほどの歓待ぶりでした。気分はアイドルです。握手会のアイドルの気持ちはこんな感じなのか、多分違うか。
わたしが日本から走りにきた事実が、いろんな国の人を笑顔にできている。これって日本にいる限り、なかなかできない経験だと思います。そんな経験ができた、この事実だけでわたしはいろんな国を走ってよかったと思うし、こんな幸せな言葉を伝えてもらえたと末代先まで自慢したい勢いです。
3.だからわたしはこれからも世界で走るの。
①世界のいろんなところで走れるって、とってもラッキーなことじゃない?
わたしは、日本人に生まれた段階で実は年末ジャンボが当選するくらいラッキーな星の下に生まれていると思います。
日本のランニングやレース環境ってとてつもなく恵まれているんです。国内で42.195kmを走るレースは特段珍しいものではないし、ランナーにとって42.195kmのレースが存在するのは至極当たり前です。スタートタイム通りにレースが開始され、スムーズに給水が取れて、自分のペースでゴールができる。それが月に何度もある。
これってすごいことなんです。
42.195km走るって、その距離の平和が保てない限り走ることができません。当たり前の話です。だから台風や地震やらの自然災害の際はマラソンも中止になりますよね。
世界ではその42.195kmの平和を保てない国が結構あります。ベネズエラで2017年まで開催されていたカラカスマラソンはここのところずっと中止です。レバノンのベイルートマラソンも過激デモで中止になりました。イラクのバグダットやシリアでは、せいぜい10kmのレースが限界です。
そして給水やら人材の確保をして初めてエントリーを募れるのです。文章にしてみると結構重労働な感じ伝わりますよね。
その状況を最初から持っているわたしたち、ほかの国の人より走るのに慣れているわたしたちは、きっと異国で走ることがほかの国の人より容易です。もちろん言葉の壁はあるけれど、それを乗り越えるための文明の機器だって持っているじゃないですか。もはや壁はゼロです。
それにわたしたちには、最強のパスポートがあるんです。世界で最強と呼ばれる日本のパスポート。
知っていますか、ケニアの選手はいろんな国に走りに行きたいけれど、ビザの関係でなかなか外に行けなかったりするのです。有名スポンサーがついて世界に羽ばたける選手は一握りで、わたしもケニアのイテンに足を運んだとき、冗談半分でビザのインビテーションをくれと頼まれたことがあります。
その反対でわたしたちがケニアに行くのはとっても簡単、ビザをオンライン申請して50ドル支払えば入国できてしまいます。どうしようもない格差。
生まれた国の格差はもはや運で、自分ではどうしようもありません。わたしたちは自分ではどうにもならない部分に関して、とてつもなく恵まれている。ラッキーなんです。そのラッキーを使わないなんてもったいないとわたしは思います。
②いろんなところで走ったら、みんなまじでシェアハピじゃない?
アメリカのロサンゼルスマラソン完走後、現地の友だちにどうしてあんなにブチあげた応援をしてくれるのかを聞いたことがあります。その返答がこちら。
「完走とか関係なく、マラソンを走っているだけでAWESOME!頑張ってる人を応援して、それが応援している側の元気になる。応援している僕らも楽しい。走っている人も楽しい。ウィンウィンじゃん。」
え、もう何それ最高にシェアハピ。これがユナイテッドステイツオブアメリカなのか。
でも、これが広がったらもう世界って最高に平和になるんじゃないかと、結構本気で思っていたりします。頑張っている人を応援する空気って世界規模で同じで、走るって道具が必要なスポーツと比べると初期費用がかからない誰にでもできるスポーツなんです。すてき。
それに加えて前で書いたように「わざわざ日本から走りにきてくれて、本当に嬉しい!」と思ってくれる人間が世界には結構いるんです。たしかに海外の人が「飛行機で14時間かけて、日本に走りにきたわ!」ってレース出場してたら、うれしい気持ちになりますよね。少なくともわたしは銀座のお寿司でもごちそうする勢いです。
このふたつがかけ合わさったら、本当に世界がもっとよくなるんじゃないかなって思っていて。自分の走ることが世界のシェアハピにつながるんだったら、それがもう走る理由になるんじゃないかなと感じたりします。
③もっと情報があれば、もっとみんな走りやすくなるんじゃない?
海外のマラソンにエントリーするときは、語学の壁にぶち当たる確率は高めです。ヨーロッパのなかなかに規模でかい系マラソンでもエントリーは日本語では受け付けてません。わたしたち島国は世界的にみてイリオモテヤマネコ部類にはいる少数派だったりします。でも生まれたときから日本語、日本に住んでる限り日本語で生活できちゃうわたしたちにとって、いくら義務教育で英語を習ったとしても英語でレースをエントリーするって結構ハードル高めなのかもって思ったりします。ちなみにお隣の韓国はマラソンのエントリーページに日本語ページを用意してくれています、ほんとすばら。
しかも現地に日本語話せる人って実際のところほぼ皆無。逆にブラジルのリオデジャネイロまで飛ぶと日系3世とかの人が日本語話せたりして、こんなところで日本語!?みたいな状態にはなるんですけど、超レアケースといって差し支えないと思います。そうなるとマラソンEXPOとかスタート地点までどうやって行くのとか預け荷物どうすんねんみたいな山積みの問題は自分で解決しないといけません、つらみ。
そして海外のレースのそこらへんの情報ってみた感じ全然なかったりします。だってわたしエントリー前に日本語で調べてもぶっちゃけほとんどヒットしないし。南米に関しては英語ですらヒットしないから、スペイン語検索に切り替えるくらいの情報量の無さみがあるのです。
それでもわたし出場できてるからみんなできるはずぴよ、と宣ったところ妹(20)から「自分ができることをみんなができるって思うの、めっちゃ傲慢じゃない?」とど正論ストレートをくらいました。最近のはたちは戦闘力が強いのです。
いや、でもたしかにそうなのです。わたし考えたら丸の内OLとかできないし。いつかルブタン履いて丸の内でOLするの夢ではあるけど、今わたしは丸の内OLになれません。だってルブタン持ってない。
じゃあどうしたらわたしは丸の内OLになれるのかって話なのです。つまりどうしたらもっといろんな人がレースに気軽に出場できるのかな、って脳みそ絞って考えました。
もっとこんなレースがあって、こんな感じでエントリーして渡航して、スタート地点まで足を運べばいいのか、っていう一連の流れがわかったら、もっとみんなのハードルも下がって走りやすくなるんじゃないのかと。しかもその情報を発信しているのが、齢25歳のアメリカ人に日本語勉強した方がいいってアドバイス食らうほどの脳みそ詰まってない系日本人。日本にいて4万円盗まれたりしたこともあるくらいの注意力のなさが光る人間です。
そんなホモ・サピエンスが世界を走り回ってなんとかやっていけてる事実は、日本のランナーが世界で走ることのハードルをがんがんに下げる事象ではないでしょうか。
わたしは日本のランナーがもっと世界で走るようになったら、上手に言えないけれどいろんなことがもっと良くなると思います。
世界であなたたちが走ることによって、いろんな人が元気をもらい、それが明日の生きる活力にもなったりもします。あなたたちが走ることが、全く関係のない国の人に勇気を与えることができるのです。
それに世界を走ることは、あなたたちの価値観だってびっくりするくらい変えてくれるはずです。今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃない。その事実に気づくことはきっと人生において大切な何かになってくれるとわたしは思います。
あなたが走ることであなたもハッピー、世界もハッピー、みんなハッピーって最高じゃないですか。
わたしはこんなシェアハピがもっともっと広がればいい、それを広げていきたい。
そう思うから、わたしはこれからも世界で走るのです。