シャッターを切らなければいけないと思った、熊本県・芦北高校
私の故郷ではないが、私にとって大切な場所になっている熊本県。2016年に熊本地震後、益城町の現地に足を運び、2020年に益城町と九州豪雨水害の現場である球磨川周辺に足を運んできた。
百聞は一見に如かず
報道されることはどうしても、ごく一部にしか過ぎず、他のニュースが入ってくることで報道時間が短くなりやすく、時間経過とともに報道される頻度が減るとまるで「もう大丈夫な状態まで復興したのかな?」と誤解を招きやすい。なので、私の目に映ったものに小細工を入れず、耳にしたことを代弁し、リアルを届けられたらと思い、ここに綴ることにした。
2020年7月 九州豪雨 佐敷川の氾濫
2020年7月、友人のSNSを通して友人の勤務先の芦北高校が、今回の九州豪雨で何かしらの被害を受けていたことは分かっていた。私は、その時北海道でTV報道を見ていたのだが、どのチャンネルもほとんどは、熊本県球磨村渡乙の特別養護老人ホーム「千寿園」がメインだった。
友人のSNSを通して知った現場の状況と、私が目にしているTVの報道には違いがあった。しかし、どちらもリアルな現場の状況には間違いはない。
芦北高校は、球磨川の西に位置し、近くには「佐敷川」という川が流れている場所だ。地図で確認すると一目瞭然だが、海にも近い。
芦北高校は、農業科、林業科、福祉科のある高校であった。なので、私が知っている高校とはまるで設備が違ったのだ。水害が直撃して間もない芦北高校の写真を友人から提供してもらったので、そちらも合わせて私が見たもの、聞いたことを綴っていく。
完全に水が抜けるには約2日間かかったそうだ。水がある程度抜けたグラウンドは、濁流が運んできた泥が一面に広がっていることがわかる。安全性の確保ができない以上、このグラウンドの使用は困難だ。
私が訪れた放課後の時間には、野球部の生徒と顧問の先生が、ピッチャーマウンド周辺の泥を掻き出す作業をしていた。
友人は福祉科に配属されている。福祉科の職員室は1階にあり、もちろん浸水した。手前のテープや穴あけパンチに泥がついていることがわかる。つまり、教員の机の上まで、水位は達していた。
電子機器や教材は、水没し利用できない。
重要書類も、集めたとしてこの状態だった。
机などが撤去された職員室は、隆起している床の上に書類をまとめた状態になっている。つまり、ここは職員室として機能していない。
地理的にも海から近いことから、河川の水だけではなく海水も入ってきたと考えられている。海水の厄介なところは、塩水による錆を発生させてしまうこと。
1階に設備が整った福祉科が利用する教室は、実践的な道具が多い。多くの授業用設備が浸水被害に遭い、処分対象となった。
何が使用できて、できないのか。それらを判断しながら行う作業は途方もない。
↓使用できるものと。
↓使用できないもの。机や棚なども含め、高校の設備のが多くが、処分対象になっていた。
1番破損が酷かったという、保健室を見せてもらった。
明らかに、他の場所と違うのは、「カビの臭い」だった。片付け作業をし、可能な範囲で綺麗にしたであろうその場所は、思わず鼻を覆うほど、カビの匂いが充満していた。
奥のロッカーをよく見ると、水位の高さを示す後が今も残っている。
保健体育科の教員免許を持ち、バスケットボールの経験がある友人が、バスケットボール部の顧問を受け持つのは何も不思議なことではない。
新型コロナウィルスの影響で、思うように部活動ができなかった中。それでも間近に迎えようとしていた、3年生最後の大会。多くの思いが詰まった体育館は、一夜にしてこのように姿を変えてしまったのだ。
ステージ下まで水位が達した体育館には多くの授業用・部活用道具が保管されていた。私が訪れた日も、ボールやバドミントンのラケットなどが袋にまとめられ、行き場を失っていた。
「これでも(泥を掻き出した後)、2回拭き上げしたんだけどね…」っと話していた体育館のフロアは、一目でわかるほど、土で真っ白だった。安全性の確認ができない以上、この場所の使用は許可されない。
その検査がいつ行われるのか、今も未定だという。
大量のパイプ椅子は一つ一つ拭いたようだが、それらを収納する場所は土がまだ残っている。
そして、フロアの水はまだ抜けきっていない。
校舎内だけでなく、敷地内には至る所に土砂が入り込んでいた。これらを撤去しなければ人の往来もままならない。
芦北高校の学科の特性から、重機を扱える生徒がおり、農業科の生徒たちは自分たちの授業場所を後回しに、重機が必要な場所の作業を優先せざるを得なかった。
なので、私が訪れた日の農業科の授業場所は、ほぼ手付かずの状態であった。
ハウスの上部にまで水位は達し、私が手を伸ばしても届かない高さまで達している場所もあった。
7月20日より、授業は再開されていた。冷房設備も水没し、水道の衛生面もままならない状態での授業は、教員、生徒ともに学習環境として厳しいことが多いと容易に予想できる。新型コロナウィルスでそもそも授業ができていなかったので、再開せざるを得ない教育現場。
水などの物資は多く届いているようだったが、片付け作業が行き届いていない現状に、明らかな人手不足を感じた。
とにかく現場で動ける人の助けが、最優先で必要な状況だ。
すれ違う多くの生徒の元気な挨拶に、友人がいう「ここの生徒の強さ」を肌で感じることができた。生徒の自宅が被災し、登校ができていない生徒がいることも現実だった。
正門を入ってすぐの時計は、午前3時半を指したまま止まっている。
内部からの発信がなかなか難しい中で、私の見学と撮影の許可が下りたこと。自分の目で見た、耳で聞いた、鼻で感じた現場は、水害の被害があった日から月日が経っていたとしても、想像を遥かに越えていた。
今回の九州豪雨災害で、地域によって被害の大小は確かにあるけれど、
被災者が受けた傷の大きさは比べるものではない。
今回の熊本への訪問で、出会った人々は皆、現状と向き合い踏ん張って、頑張っている。そのような彼らに掛けられる言葉が上手く見つからず、絞り出していた去り際の言葉は、
「また来るね!」
私ができることは、なにか?
各々の支援の形がある。今回私は現場に足を運ぶことができた。だからこそ先ずは現状を私自身が知り、その上で、1人でも多くの人に、伝えたい。なかなか報道されない場所の現状を伝えなければと痛感した。そう思った。
「知っていること」と「知らないこと」は雲泥の差だ。
知り得た情報を受けとり、どう自分自身でその情報を咀嚼するのか?私は可能な範囲で構わないから、誰かの何かの行動のきっかけになれば嬉しい。
長期的な復興支援には必ず資金が必要である。
芦北高校にも多くの物資や授業設備が寄付されているようだった。(芦北高校HP参照)しかしながら、まだまだ不足している、撤去作業も然り。ボランティア活動も募集しているようだった。
【芦北高校HPブログ「芦北高校、再開に向けて!」】
https://sh.higo.ed.jp/ashikita/blogs/blog_entries/view/66/f85ab8e14ae4674676f0b77ebfcec773?frame_id=19