妊婦は息切れがすごいって聞いてたけど、これ異常ではないか?
妊娠9ヶ月目に入った妊婦です。今日は、私が妊娠6ヶ月頃から悩まされた息切れについて記録したいと思います。
妊娠中期〜妊娠後期に入ると子宮が大きくなり肺が圧迫され息切れや動悸などの症状がでることは前情報として知っていたけど、私のこの息切れ、本当に大丈夫?と思うくらい毎日「はぁはぁ…。」と息切れをしながら生活していました。
最初に「おかしいな?」と思ったのは妊娠6ヶ月頃に会社に出勤している途中。
駅から会社まで10分程度の道のりですが、途中のほんのゆるやかな坂道で歩けなくなってしまいました。脚が前に出ず、ゆっくり歩いても呼吸が乱れてしんどい。無理やり歩くと吐き気と共に視界がぼや〜っとしてくる感覚。それでも頑張って会社まで歩いて、倒れそうなギリギリのところでトイレに駆け込み、個室で横に寝転んで、少しすると身体が元に戻っていく感覚を感じ安心する。せっかくつわりがましになってきたのに、次は何なんだよ、という憤りを感じながら、私はこの「はぁはぁ病」と2ヶ月程お付き合いすることになります。
『車の中でパニックに。
人生で初めて救急車を呼んで欲しかった(呼んではない)。』
はぁはぁ病の中でいちばん辛かった出来事は、車の中で起こりました。
その日朝からちょっと息苦しいな〜と感じつつも夫の運転でお出掛けをしに行きました。移動時間が長いとしんどくなってしまうので、近場でしたが10分程高速道路を利用することに。しかし高速が近づくと何だか息苦しさが増してきます。一回車を降りて呼吸を整えたいと思いましたが、ルート的にもうこのまま高速に乗ってしまうしかない状況。そうすると「車から降りれない…。」という心理的な恐怖も作用したのか、息切れがすごいことに。「はぁはぁ、苦しい、やばい、どうしよう、呼吸ができない、死にそう…。」
汗がどんどん吹き出し、視界がぼやけて、気を失いそう。「あぁやばい。これは人生初の救急車だ…。」「でも落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け」と念じました。
運転席の夫から「あと5分くらいで高速終わるから」と言われ「5分?!無理!我慢できない!」と訴えつつ、心の中では「落ち着け、落ち着け、たったの5分。頑張れ、頑張れ。」と念じます。
そうしている内に、ゆっくり、じわ〜と呼吸が落ち着いてきて、高速を降りることには症状は収まってくれました。はぁ〜、本当に死ぬかと思った。
ここまでパニックになるのは、この日限りでしたが、それでも近くのスーパーで買物に行くだけでも一苦労な日々。10分程度の道のりも休憩なしで歩くことができず、知らない人の家の石垣で休憩したり(すみません)、電信柱にもたれかかって黄昏れ休憩したり、この世のベンチの少なさに不服を唱えたり(心の中で)しながら、はぁはぁ病と付き合っていました。
『はぁはぁ病の正体は”貧血”だった。』
妊娠8ヶ月頃の血液検査でヘモグロビン値が正常より低いことを指摘されます。
「貧血…。お前が原因だったのか!」という感想を抱く私。
通常ヘモグロビン値は12以上ないといけないらしく、私は10しかありませんでした。この場合治療の対象になるらしく、この日から鉄剤を服用することになりました。この鉄剤が私の救世主となります。
鉄剤を服用してから1週間も経たない内に身体の変化を感じます。
「あれ?今、はぁはぁ、言ってない!」
感動です。スーパーで買い物できる、駅まで歩ける、車にのってもしんどくない!
息苦しさが全部解消されたわけではないですが、以前の様に「ちょっと、これは異常じゃない?」という状態から抜け出すことができました。
でも本音を言えば、もっと早く貧血であることを知りたかった…。
私の場合、妊娠初期に行う血液検査ではヘモグロビン値は正常値であり、おそらく妊娠6ヶ月頃からヘモグロビン値が減っていました。2回目の血液検査を行う妊娠8ヶ月頃まで、はぁはぁ病の症状を先生にうったえるも「妊婦の症状ですからねぇ…」と貧血が発見されず、2ヶ月も苦しむことになりました。おそらく私がもう少し涙ながらに訴えたり、車でパニックになった症状等をきちんと伝えていれば対処してもらえたのだと思いますが「息切れがすごくて」という状況しか伝えておらず、赤ちゃんも順調に育っているので特に治療の必要なしと判断されたんだと思います。
しかし貧血は母体だけでなく赤ちゃんの成長にも影響があるとのことを知り、伝えるべきことは正確にきちんと伝えないといけないな、と反省した出来事でした。
出産まであと約2ヶ月。暖かくなってきたし、はぁはぁ病も治ったし、家に引きこもらずに身体を動かしたいと思いつつ、ネットサーフィンしたりお菓子食べたりお茶を飲んだりの今が至福の時間です。
End
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